アクアライン開通で人と物の流れが変動

木更津

きさらづ Kisarazu
木更津駅
▲木更津駅西口《2007年1月14日撮影》

STATION PROFILE

大柄な橋上駅舎

木更津駅東口
【写真1】東口はバスターミナルとなっており、東京湾アクアライン経由で川崎方面へ向かう路線バスが発着しています。《2007年1月14日撮影》

駅舎は橋上に設けられており、東西自由通路を兼ねています。改札の正面に「みどりの窓口」があり、その近くに売店が設置されているなど、ごくオーソドックスなスタイルです。

出口は東西に設けられていますが、西口にはJRの駅事務所が入った鉄筋3階建てのビルが建ち、その周りに駅前商店街が形成されています。JRの駅から海にかけた一帯が、かつて重工業で発展した木更津市の中心地ですが、現在では空洞化が著しいエリアでもあります。

いっぽうの東口は、整備された駅前広場の周辺にそこそこの商店が建つものの、繁華街は形成されていません。こちらは路線バスの発着が盛んで、木更津市郊外のほか、東京湾横断道路(アクアライン)経由で川崎や東京へ向かうバスが発着しています。

久留里線が分岐

木更津駅ホームから見える留置車両
【写真2】木更津駅ホームから見える留置車両。《2007年1月14日撮影》

島式ホーム2面4線から成りますが、このうち東側の路線には架線が張られておらず久留里線専用となっているため、内房線が2面3線、久留里線が1面1線という形になっています。

駅の南東側には車庫があり、久留里線のディーゼルカーなどが留置されていました。

バブル崩壊による景気低迷に加え、アクアライン開通後に見られた“ストロー効果”もあって、木更津駅前は長らく地価下落率ワーストポイントとして知られるようになってしまいました。駅西口付近に立地していた百貨店や大型スーパーなども相次いで撤退しており、商業地域の落ち込みは現在でも深刻なようで、昼間でもシャッターを下ろした店舗が多いのみならず、人通りが少なくゴーストタウン化した街路が見受けられます。

停車列車 [2014年4月現在]

全列車が停車します。

乗り場

北から順に、1番線、2番線…となります。

  • 1.内房線上り 蘇我、千葉方面
  • 2.内房線上り 蘇我、千葉方面
  • 3.内房線下り 君津、安房鴨川方面
  • 4.久留里線下り 上総亀山方面

駅名の由来

木更津の地名は、ヤマトタケルの伝承がもとになるといわれています。かつてこの地でヤマトタケルを乗せた船が大波に襲われた際、同船していた弟橘姫が身を投げて海を沈め、のちにヤマトタケルが「君不去」と詠んだことによる、というものです。この伝承におけるヤマトタケルは山の象徴、弟橘姫は海の象徴と思われます。

歴史

姉ヶ崎から路線が延長された際に設けられた駅で、1912年8月に開業した際には終着駅でした。木更津から先、上総湊まで開通したのは1915年1月15日のことです。なお久留里線は、前身である千葉県営鉄道が木更津-久留里を1912年12月28日に開通させ、1923年9月1日に国有化されています。

  • 【1912年8月21日】 国有鉄道(内閣鉄道院)木更津線の姉ヶ崎-木更津間が開業した際、木更津駅開業。
  • 【1912年12月28日】 千葉県営鉄道の木更津-久留里間が開業、接続駅となります。
  • 【1915年1月15日】 国有鉄道(内閣鉄道院)木更津線の木更津-上総湊間が開業、中間駅となります。
  • 【1923年9月1日】 千葉県営鉄道の木更津-久留里間が国に譲渡され、国有鉄道(鉄道省)久留里線となり、分岐駅となります。
  • 【1976年9月30日】 この日かぎりで貨物営業廃止。
  • 【1987年4月1日】 国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本の駅となります。

周辺の見どころ

確認中。

2007年1月21日

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