生麦事件の舞台

生麦

なまむぎ
Namamugi
生麦駅
生麦駅。2003年6月14日

 

生麦ホーム
写真1生麦駅ホーム。左側に見えるのが下り通過線とそのホームです。2009年9月23日

商店が密集している中に設けられている駅です。

片面ホームと島式ホームから成り、島式ホームの両側を上下線がそれぞれ使っているほか、片面ホームは下り線の通過線として使われるという、変則的なスタイルになっています。2つのホームは若干ずれており、島式ホームは片面ホームに比べて品川方に位置しています。このようになったのは、用地の確保が困難ななかでなんとか待避設備を備えるための苦肉の策を取ったためでしょう。

橋上駅舎で、改札内コンコースは島式ホームの中ほどまで延びています。出口は駅の東西に設けられており、西口からはJR東海道本線を跨ぐ通路とつながっています。

生麦の地名は、幕末の文久2年、島津藩の大名行列を騎乗で横切ろうとした英国人に対し、同藩藩士が斬りつけた「生麦事件」で知られるようになりました。現在ではむしろ、首都高速道路横羽線から同湾岸線へ抜けるジャンクションの名前で知られています。

キリンビールの横浜工場の最寄り駅です。なお、戦前には同工場の至近に「キリンビール前」なる駅が設けられていましたが、1944年10月20日には奢侈品たるビールを取り除いた「キリン」という、意味不明の駅名になっていました。ほどなくして営業休止、のちに1949年6月30日をもって正式に廃止されています。

停車列車 [2009年10月現在]

普通列車のみが停車します。なお、京急蒲田以南に急行が運転されていたときは、急行停車駅でした。

乗り場

通常は島式ホームの両側を使用し、待避線のホームはあまり使われていません。東側(海側)から順に、1番線、2番線、3番線となります。

  • 1.京急本線下り 横浜、浦賀方面
  • 2.京急本線下り 横浜、浦賀方面
  • 3.京急本線上り 京急蒲田、泉岳寺方面

駅名の由来

確認中。

歴史

京浜電気鉄道神奈川開通時に開業した駅です。

略年表(クリックまたはタップで開閉)
1905年(明治38年)12月24日
京浜電気鉄道によって川崎(2代目。現、京急川崎)-神奈川停車場前(現在は廃止)が開通した際、「生麦」駅として開業。
1942年(昭和17年)5月1日
京浜電気鉄道が東京横浜電鉄および小田原急行電鉄と合併して東京急行電鉄となり、東急品川線の駅となります。
1948年(昭和23年)6月1日
東急から京浜急行電鉄が分離独立したことに伴い、京浜急行電鉄本線の駅となります。
1967年(昭和42年)11月
駅舎改築、京急で最初の橋上駅舎となります。
1994年(平成6年)4月25日
配線改良工事(相対式2面2線から島式1面2線+通過線)完成、使用開始[1]

駅周辺

確認中。

近隣の見どころ

確認中。

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