単独駅ながら多くの乗降客をさばきます
地図を見る限りでは単なる中間駅ですが、その実は京王線の中でも有数の巨大駅です。全国的にも、他線への乗り換えのない駅としては最大級の乗降客数を誇っており、時間帯を問わず改札口を多くの人が出入りしています。
高架上に島式ホーム2面4線が設けられており、各停と特急・準特急等の接続が行われています。
地図を見る限りでは単なる中間駅ですが、その実は京王線の中でも有数の巨大駅です。全国的にも、他線への乗り換えのない駅としては最大級の乗降客数を誇っており、時間帯を問わず改札口を多くの人が出入りしています。
高架上に島式ホーム2面4線が設けられており、各停と特急・準特急等の接続が行われています。
ホームが3階、改札口のあるコンコースが2階にあり、コンコースからそのまま大きなペデストリアンデッキが北側へつながり、バス乗り場やタクシー乗り場がその下に入る形になっています。コンコース自体が高架下の2階にあるため敷地に余裕があり、またホームが明るいのが特徴です。
駅の周辺には、大手金融機関や各種企業のビルなどが林立しており、低層のビルが目立った京王線の車窓の中では、聖蹟桜ヶ丘とともにやや異質な存在ともいえるかもしれません。
駅の南側には、武蔵国総鎮守である大國魂神社があり、ケヤキやイチョウの巨木が多く並んでいます。
全列車が停車します。
南側から順に、1番線、2番線…となります。
武蔵国国府が置かれた地であることに由来します。武蔵に限ったことではなく、国府が置かれた日本中の土地で同字の地名がありますが「国府」「国府台」などの表記、「こう」「こうのだい」などの読みになる場合もあります。
1916年に京王電気軌道の終点として開業しましたが、のちに玉南電気鉄道のターミナルが1925年に開業、軌間の異なる両線の乗換駅となりました。もっとも玉南は国からの補助金目当てで別会社になったもので(実際には補助金は受けられず)、ほどなく京王に合併しています。
駅下車西口すぐ。大國魂神社の参道に沿ってケヤキの大木がずらりと並んでおり、国の天然記念物に指定されている。源頼義・義家父子が安部一族を平定した際に大國魂神社へ寄進したのが由来といわれ、義家の像が建てられている。両脇は銀行やショッピングセンターが建ち並ぶ繁華街となっている。
駅下車北西徒歩8分。旧国鉄武蔵野線、通称下河原線の廃線跡が緑道として整備されている。同線は1920年5月6日に開通した貨物線で、その後東京競馬場前行きの旅客列車も運行されたが(1973年3月31日かぎり廃止)、1976年9月19日かぎりで廃止された。
府中といえば、東京競馬場や府中刑務所などの所在地として知られており、これらは東京の府中市を指しますが、実は「府中市」にはもう1つ、広島県府中市も存在します。
東京都府中市が市制を施行したのは1954年4月1日でしたが、広島県府中市も1954年3月31日に市制を施行しています。結果的に2つの府中市が認められたことになりますが、どうやらこれはドサクサ紛れの結果だったようで、その後長らく、自治省(当時)通達により同名の市が2つ以上並立することが認められない時期が長く続きました。実際に、茨城県の鹿島町と大野村が合併して市制を施行した際には、佐賀県鹿島市が存在することから、字を変えて「鹿嶋市」となっています。
その後、2004年に沖縄県で“宮古市”が誕生しようとするときに、総務省がそれまでの通達を撤回し、既存の市の同意があれば同名市も認められることとなりました。“宮古市”は岩手県宮古市の同意が得られずに「宮古島市」となりましたが、北海道伊達市の同意を得て福島県にも伊達市が2006年1月に成立、「2つの伊達市」となりました。