京王線と井の頭線の乗換駅

明大前

めいだいまえ Meidaimae
明大前駅
▲明大前駅駅舎《2003年5月11日撮影》

STATION PROFILE

京王線は井の頭線をまたぎます

京王線ホーム
【写真1】京王線ホーム。《2006年5月6日撮影》

京王線と井の頭線の連絡駅で、京王線が井の頭線をまたぐ形になっています。改札口を1階とすると、京王線は2階、井の頭線は地下1階となります。

京王線ホームは高架上に設けられており(新宿方は土地が高いため地平)、相対式ホーム2面2線から成ります。待避設備や折り返し設備などはありませんが、特急以下すべての列車が停車するため、特急および準特急と、新線新宿線方面との接続駅となる場合もあります。ホームは端の方になるとは狭くなっていますが、出口や乗り換え口の周辺は比較的スペースに余裕があり、また特に上りホームは複数の通路を確保しているため、小田急下北沢駅ほどの混雑にはなっていません。1階の乗り換え通路沿いには、店舗や飲食店などが入っています。

井の頭線は切り通しに

井の頭線ホーム
【写真2】井の頭線ホーム。《2006年5月6日撮影》

井の頭線は切り通しに設置されており、こちらも相対式ホーム2面2線になっていますが、ホームがかなり狭くなっています。このため、京王線との乗り換え通路のある渋谷方は、いつも混雑しています。下りホームには菓子屋や飲食店が軒を連ねており、会社帰りの通勤客が買い物をする姿を見ることができます。また、こちらには駅ビル「フレンテ」につながる出口専用改札口「フレンテ口」が設けられています。

かつては下りホーム側に「無事湖」なる小さな池があり、駅の利用者を楽しませていましたが、いつしかなくなりました。

コンコースは両ホームの中間、西側に位置しており、改札は北西側に向いています。駅前はちょっとした商店街になっていますが、狭い道路が入り組んでいることもあって駅前広場などはなく、ある意味京王らしい駅前風景が広がっています。明治大学和泉校舎や和田堀廟所が近くにあり、このため学生の出入りが非常に多い駅でもあります。

停車列車 [2014年5月現在]

京王線

全列車が停車します。

井の頭線

全列車が停車します。

乗り場

  • 1.京王線下り 調布、京王八王子方面
  • 2.京王線上り 笹塚、新宿方面
  • 3.井の頭線下り 久我山、吉祥寺方面
  • 4.井の頭線上り 下北沢、渋谷方面

駅名の由来

明治大学和泉キャンパスがあることに由来します。この駅名となった1935年当時は、明治大学予科がありました。

歴史

京王電気軌道開業当初に設置されました。開業当初は、駅近くにあった陸軍の火薬庫にちなみ「火薬庫前」と称しましたが、1917年に「松原」と改称しています。なお、火薬庫は1924年に廃止され、跡地は明治大学和泉キャンパスおよび築地本願寺和田堀廟所となっています。

1933年には帝都電鉄(現・井の頭線)が開通したことを受け、京王線との乗換駅として「西松原」が設けられました。その後、松原、西松原の両駅は1935年2月8日に統合され、これにあわせて京王、帝都両線の共同使用駅として「明大前」と改称されました。

  • 【1913年4月15日】 京王電気軌道によって笹塚-調布間が開業した際、「火薬庫前」駅開業。
  • 【1917年】 「火薬庫前」駅の駅名を「松原」に改称。
  • 【1933年8月1日】 帝都電鉄によって渋谷-井の頭公園間が開業した際、「西松原」駅開業。
  • 【1935年2月8日】 京王電気軌道の松原駅と帝都電鉄の西松原駅が統合され、「明大前」と改称。
  • 【1940年5月1日】 帝都電鉄が小田原急行鉄道に合併、同社の駅となります。
  • 【1942年5月1日】 小田急電鉄が東京横浜電鉄に合併、東京急行電鉄の駅となります。
  • 【1944年5月31日】 京王電気軌道が東京急行電鉄に合併、同社の駅となります。
  • 【1948年6月1日】 東急から京王帝都電鉄分離発足、同社の駅となります。
  • 【2007年5月24日】 駅ビル「フレンテ明大前」オープン。

周辺の見どころ

築地本願寺和田堀廟所

北へ甲州街道を渡り徒歩10分。関東大震災で大きな被害を受けた築地本願寺が、陸軍省火薬庫跡の払い下げを受けて墓地を移転したものです。春にはサクラが美しい。

2014年10月6日(最終更新)

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