京王線のターミナル。新宿駅の乗り場は京王線と京王新線とに分かれており、新宿駅以外での案内では「京王線新宿」(以下、京王線)および「新線新宿」(以下、京王新線)と使い分けられています。両者はかなり離れた場所にあるのですが、改札内で相互に連絡できます。
京王線ホームは、特急や準特急などが発着するメインターミナルで、地下2階に位置しています。
コンコースは、ホーム真上の地下1階にあり、北側の地下中央広場方面(西口)と西側方面(百貨店口)の2つの改札があるほか、JRとの連絡改札が設けられています。この連絡改札では、JRとの連絡乗車券などを利用できる改札機と、京王の乗車券のみでJRの構内を通って東口改札へ出られる(逆も可能)改札機の2つが別々に設置されているのが特徴です。有人改札窓口はカウンター状になっています。
これとは別に、ホームの笹塚方には、JR系の複合商業施設「ルミネ」へ出られる「ルミネ口」があります。1階から上は、京王百貨店の店舗となっています。このほか、ホームの北側(頭端部)には、出口専用の改札が設けられています。
京王線乗り場は、3面3線と頭端式ホームを備えています。頭端式というと、一般的には終端側または横側に改札口が設けられていますが、京王線乗り場は三方を壁に囲まれていて場所がないため、メインの改札口はホームの上になります。
左から順に、各駅停車、橋本行き特急および急行・区間急行・快速、そして京王八王子または高尾山口行き特急および準特急となっており、上掲の写真で特急電車の左側のホームは、降車専用ホームとなっています。また、乗り場とコンコースとを結ぶX字状の階段は、京王線新宿駅のシンボルといえるでしょう。
ホームはJRや小田急の駅とほぼ平行していますが、駅を発車した電車は、急角度で右(西)へと向きを変え、甲州街道とほぼ平行に地下を進んでいきます。新宿を出ると、京王線には初台および幡ヶ谷の両駅は設置されておらず、各駅停車でも次の停車駅は笹塚となっています。このため、京王線ホームでは「初台および幡ヶ谷には停まりません」というアナウンスが頻繁に流れています。
京王新線は、原則として都営新宿線との相互直通運転の列車用で、地下のかなり深いところにホームが設けられています。
コンコースは駅の東側(JR新宿駅南口方面)に設けられています。京王モールの南側にあり、京王線新宿駅に比べて天井が低く、やや暗い印象があります。同じフロアに、都営大江戸線新宿駅の改札口があります(新宿西口駅ではありません)。
京王新線には、1面2線の島式ホームが設置されていて、折り返し設備が笹塚方に用意されています。こちらは甲州街道の直下に設けられているため、ほぼ一直線で進みます。
都営地下鉄新宿線の駅も兼ねていますが、駅名標や柱のカラーなど各種レイアウトは京王の設計に準じており、駅業務も京王が行っています。なお、都営地下鉄関係の定期券や企画乗車券等は販売しておらず、すぐ近くにある都営大江戸線の窓口での購入となります。都営大江戸線のホームと連絡改札なしで乗り換えが可能です(かつては連絡改札が設けられていましたが、現在は撤去されています)。
ここでは、京王線新宿、新線新宿を分けて表記します。
降車専用ホームには番号はありません。なお、新線新宿は島式1面2線で、降車専用ホームはありません。
確認中。
京王電気軌道開業当初は、新宿付近は併用軌道上を走り、現在の新宿三丁目付近にある新宿追分を起点としていました。1925年には、新宿南西口にあった葵橋駅を廃止して、国鉄線をまたぐ橋上に「停車場前」駅を開設、1937年5月1日には「省線新宿駅前」と改称しています。また、1927年にはターミナルであった新宿追分が移転し、1930年には「四谷新宿」、1937年には「京王新宿」と改称しました。
しかし、変電所に対する空襲によって京王線の電圧が降下し、電車が国鉄をオーバークロスすることが難しくなったため、ターミナルが西口に移転し、現在の新宿駅が開業するにいたりました(あわせて、旧・京王新宿、省線新宿駅前の両駅は廃止)。
1963年4月1日には地下化されましたが、当初のホーム有効長は18メートル6連対応と、まことに貧弱なものでした。このため、長編成対応のためにホームを初台方へ延伸し、あわせてシーバスを移動しています。さらに、新宿-笹塚の京王新線が1978年10月30日に開通して同区間が複々線化され、1980年3月16日には都営新宿線との相互直通運転が開始されました。
また、2004年にはバリアフリー対応大規模改良工事が完成しました。
確認中。