地下の一大ターミナル

京成上野

けいせいうえの Keiseiueno
京成上野駅
▲京成上野駅《2003年11月22日撮影》禁無断転載

 

京成上野駅コンコース
【写真1】京成上野駅コンコース。《2006年5月21日撮影》禁無断転載

京成電鉄のターミナル駅で、地下に設けられています。上野恩賜公園の最南端に位置しており、映画館群や西郷隆盛像、不忍池、上野の森美術館などが近い位置にあります。

コンコースは地下1階にあり、中央に改札が1個所設けられています。JRや地下鉄の上野駅との間には地下通路が設けられており、やや歩くものの雨天の際も乗り換えは容易です。なお、銀座線に乗り換える場合は、上野駅へ乗り換えても上野広小路駅へ乗り換えても時間の差はあまりありません(ただし後者は地上連絡)。

 

京成上野駅ホーム
【写真2】京成上野駅ホーム。《2006年5月21日撮影》禁無断転載

ホームは地下2階にあり、島式2面4線から成りますが、他の大手私鉄のターミナルに比べると照明が暗く、1970年代ごろの無機質な地下駅がそのまま使われているようで、全体として煤けた印象があります。空港連絡特急である「スカイライナー」の始発駅ですが、実際には山手線との乗り換えが便利な日暮里での乗降が多いようです。

京成上野からは、上野動物園と東京都美術館、および東京芸術大学と東京国立博物館との間を縫うようにカーブを描きながら走っていきます。

なお、以前は東京国立博物館南西脇に「博物館動物園」駅が開設されていましたが、4両編成の列車しか停車できないため大半の列車が通過しており、輸送上のネックとなったこともあり営業が休止され、その後正式に廃止されています。

停車列車

確認中。

乗り場

確認中。

駅名の由来

確認中。

歴史

もとは筑波高速度電気鉄道が保有していた免許を京成電気軌道が譲り受け、押上にかわる京成電気軌道の都心ターミナルとして1933年12月、設けられ、当時は「上野公園」と称しました。戦時中の1945年6月10日から9月30日まで、上野公園と日暮里との間が運転休止されましたが、これは地下区間をシェルターとして客車を引き込み、運輸省が戦災にあって機能不全に陥った場合の事務室として用いるためだったといわれています。現在の「京成上野」に改称されたのは、戦後に営業を再開したのちの1953年5月1日のことです。

また1973年6月16日から12月15日まで、それまで6連1線と4連2線のみだった上野ターミナルを、空港連絡特急「スカイライナー」に対応させるため、200メートル長2面4線に拡張する工事が行われ、それに伴い同区間がやはり運休されていました。

現在の地下ターミナル建設にあたっては、地元の反対や環境庁(当時)の物言いなどもあって工期が大幅に伸びましたが、1976年7月14日に総工費120億円をかけて完成しています[1]

1933年12月10日
開業。
2019年3月19日
駅リニューアル完了[1]

周辺の見どころ

確認中。

  1. 『鉄道ピクトリアル』No.325(1976年10月号)電気車研究会、79ページ。
  2. 京成電鉄・プレスリリース「京成上野駅のリニューアルが完了します!」[PDF] (2019年3月12日)。

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