鎌ヶ谷大仏を出た松戸方面行きの電車は、北西方向へまっすぐ進みます。新京成線は駅間距離が短いのも特徴ですが、しばらく駅がないまま進み、少し右へカーブした先に、初富駅が見えてきます。鎌ヶ谷大仏から初富までは2.1kmあり、これは新京成線では最長駅間距離になります。
島式ホーム1面2線が設けられており、出口は京成津田沼方にあります。
2010年1月現在、初富駅周辺で大規模な工事が行われており、本ページの掲載情報は大きく変動するものと思われます。
鎌ヶ谷大仏を出た松戸方面行きの電車は、北西方向へまっすぐ進みます。新京成線は駅間距離が短いのも特徴ですが、しばらく駅がないまま進み、少し右へカーブした先に、初富駅が見えてきます。鎌ヶ谷大仏から初富までは2.1kmあり、これは新京成線では最長駅間距離になります。
島式ホーム1面2線が設けられており、出口は京成津田沼方にあります。
新京成線では、鉄道営業の歴史が浅く敷地が狭隘な駅が多いせいか、跨線橋で行き来したりする駅が多数派で、比較的新しい駅では橋上駅舎になるのが一般的です。そのなかで、この初富駅は例外的に構内踏切が残り、電車を降りるとホームからすぐに改札口へアクセスすることができます。改札から表に出ると路地のような通路があり、その脇には3階建ての大規模な自転車駐輪場がそびえています。
降りてきた乗客を出迎える木造平屋建ての駅舎も、新京成線ではすでに唯一の存在となっています。津田沼からも松戸からも距離があり、そのため古い郊外私鉄の風景をよく残してきたと見てよいのでしょう。
そんな初富駅も、現在この区間で高架化工事が行われており、構内踏切とともに木造駅舎もほどなく過去帳入りします。
初富駅のすぐ西側を東武野田線が走っており、新鎌ヶ谷駅が開業するまでは、この初富駅から東武野田線の鎌ヶ谷駅が乗り換えルートになっていましたが、この間は歩いて8分ほどを要しており、毎日の通勤通学で移動するには無理のある状態が長いこと続いていました。
鎌ヶ谷市のほぼ中心に位置しており、新鎌ヶ谷駅が設置されるまでは鎌ヶ谷市役所の最寄り駅でした。現在でも、駅のすぐ近くに市立図書館があります。また、駅の南側にはショッピングセンターが立地しています。それでも乗降客は新京成線内でかなり少ないほうなのは、駅周辺では大規模な宅地造成が行われておらず、通勤客の利用が少ないためでしょうか。
確認中。
千葉県で最初に開墾された際についた地名です。詳細は「ミニコラム」欄を参照のこと。
新津田沼から順次開業した新京成線はいったんここまでとなり、残りの区間は一気に開通したため、5年あまりにわたって終着駅になっていました。
駅から西へ、徒歩10分。コメント準備中。
【Map】OpenStreetMap / Google Map / Mapion
◆ミニコラム◆ 数字ではじまる開墾地名
新京成線の駅名には、二和向台、三咲、五香など、数字ではじまるものが多くみられます。これは、明治時代に殖産興業のため下総で大規模な開墾が行われた際に付けられたものです。明治政府が旧士族を中心に開墾会社を設立、徳川幕府直轄牧を開墾して行われました[4]。
第一号として付けられたのが「初富」で、「初」はもちろん最初の意、「富」は縁起のよい文字を付し、もって地名としたものです。第二号は二和、第三号は三咲と続きます。それ以降は、豊四季、五香、六実、七栄、八街、九美上、十倉、十余一、十余二、十余三となりました。広義の瑞祥地名ともいえますが、現在では数字の意味を開拓順としてとらえることもなくなり、これらの地名は完全に根付いています。それだけ明治政府が力を示したと見るべきか、百余年をへて定着したと見るべきかは、議論のわかれるところではありましょう。
このほか千葉県内には、一鍬田、三里塚、四街道、五井、八日市場、九十九里浜など、数字ではじまる地名が多数ありますが、これらは開墾地名ではありません。そういえば、全国の都道府県の中でも数字を冠しているのは、千葉県と三重県のみ。単なる偶然ではありますが、数字に縁が深いエリアといえるかもしれません。