神奈川県横浜市に本社を置く大手民鉄で、本線といずみ野線の旅客2線、および車両留置場と化している厚木貨物駅へ連絡する厚木線運行しているほか(全線複線電化)、横浜駅西口一帯の土地を多く保有しており、不動産事業の基盤が強固です。このほか、各駅を拠点とした路線バスを、自社で運行しています。かつては横浜を軸にした中小民鉄でしたが、1970年代以降、沿線の住宅開発が急激に進行し、列車の運行頻度や混雑状況が大都市鉄道のものへと変化、1990年5月には大手の仲間入りをしています。略称は「相鉄/そうてつ」ですが「相模」と略記されることもあります。大手民鉄の中では珍しく、他の大手民鉄の資本が入っており、筆頭株主は小田急電鉄です。
現在の路線は、いずれも横浜市西部から県央方面の地区と、横浜市中心部とを結ぶ役割が強くなっていますが、旅客の流動では東京方面への志向が強いものと思われます。全線の所要時間が30分あまりでありながら急行編成にセミクロスシート車を導入する、大手民鉄で最初に全駅を禁煙とするなど、ユニークな施策を取り入れる動きが見られます。
相模鉄道は、もともと相模川沿線の砂利を中心とした工業物資輸送を目的として建設された相模線(現・JR東日本相模線)の運行に始まります。同線は1931年に全線を開通させています。一方、現在の相鉄本線の前身は、神中鉄道によって1926年5月に二俣川-厚木が開業したのを皮切りに、1933年12月には横浜へ乗り入れました。しかし、両者とも不況の長期化に伴い経営が低迷、1939年9月には神中鉄道が、1941年6月には相模鉄道が、それぞれ東京横浜電鉄(現・東京急行電鉄)の傘下に入っています。1943年4月には、相模鉄道が神中鉄道を合併したものの、戦時体制下で相模線が1944年6月1日に国有化された結果、旧神中鉄道部分のみが相模鉄道として存続するという、非常にややこしい経緯をたどりました。さらに1945年には、鉄道の運行を東急に委託するにいたっています。戦後に“大東急”の統率力が弱まると、1947年6月に当時の経営者である川又貞二郎らによって事実上の独立を達成しています。その後、横浜駅西口の再開発と、それに伴う旅客の急増によって急成長を遂げ、いずみ野を経て湘南台にいたる新線を独力で開通させています。
かつては、西横浜-保土ヶ谷に連絡線があり、貨物列車が国鉄東海道本線と行き来していましたが、東海道貨物線の開通によりこの路線は廃止され、現在は、かつて同一会社線であった相模線と、厚木にて連絡するのみとなっています。厚木では、在日米軍厚木基地(神奈川県大和市)への燃料輸送が終了した現在でも、車両の入線などが行われており、かつての駅舎が、びゅうプラザ町田営業支店厚木店として残っていました(2000年現在)。
(2005年1月3日)
【Link】 相鉄グループ公式Webサイト
★1992年3月19日、二俣川にて完乗(その後に開業した区間も乗車済)。2003年5月18日、ゆめが丘にて全駅乗降(その後に開業した駅も乗降済)。全駅の写真を掲載しています。