小田急に寄り添うように位置する終着駅

海老名

えびな
Ebina
海老名駅
海老名駅。2008-08-16

終着駅らしい頭端式ホーム

改札口付近からホームを望む
写真1改札口付近からホームを望む。2013-05-02

頭端式ホーム1面2線から成る駅で、ホームおよびコンコースは地平よりもわずかに高いところにあります。

両ホームには相互に列車が入る形になっており、一方のホームに列車が到着すると、もう一方のホームに停まっていた列車がすぐに発車していきます。

側線を廃止してホームを拡幅

拡幅後の海老名駅ホーム
写真2拡幅後の海老名駅ホーム。2005-06-26

ホームは10両対応ですが、出口は西側のホーム端にあるのみなので、ラッシュ時にはかなり混雑します。かつては留置線がありましたが、現在ではそのスペースを利用する形でホームが拡幅されています(写真2)。なお、ホームの北東側にも新たに出口が設置される予定です[1]

ホームの途中には、そば屋やカレーなどのスタンドが入っているほか、改札口すぐ脇(改札内)には「京樽」が入っており、通勤通学客が多く利用しています。なお「京樽」で買い物をしたい場合は、改札口でその旨を申し出れば、入場券なしで中に入ることができます。

駅舎は小田急とつながっていますが、コンコースのフロアは完全に分離しており、小田急は橋上駅舎となっているため、乗り換えの際には階段を上下する必要があります。また、JRに乗り継ぐ際には、小田急のコンコースを横切っていくことになります。

停車列車 [2014年5月現在]

すべての列車が停車します。

乗り場

南側から順に、1番線、2番線の順になっています。

  • 1-2.本線上り 二俣川、横浜方面

駅名の由来

確認中。

歴史

詳細は確認中。

略年表(クリックまたはタップで開きます)
1941年(昭和16年)11月25日
海老名-相模国分(現、信号所)間開業に伴い、海老名駅開業。あわせて、小田急の相模厚木(現、本厚木)まで直通運転開始。
1943年(昭和18年)4月1日
神中鉄道が相模鉄道に合併し、同社の駅となります。この際、東急小田原線相模厚木までの乗り入れ中止。
1945年(昭和20年)12月25日
東急小田原線本厚木までの乗り入れ再開。
1964年(昭和39年)11月5日
小田急小田原線本厚木までの乗り入れを廃止。
1973年(昭和48年)12月21日
厚木方に移転。

駅周辺

確認中。

近隣の見どころ

確認中。

ミニコラム 海老名の鉄道史は奇々怪々

海老名は大手私鉄2線とJR1線が集合、さらに前2社の車両基地もあるという鉄道の要衝ですが、その歴史は複雑怪奇を極めます。

まず、「相模鉄道」の本家は「JR相模線」であり、私鉄として存続している「相鉄」の前身は「神中鉄道」で、これが「厚木」を起点としていたこと。そして、その「厚木」には、相模鉄道、神中鉄道、小田急が集まり、三者三様の駅の配置があったこと。かつての海老名駅からは相鉄が小田急の本厚木まで乗り入れていたこと。戦時中には「相模鉄道」の本家が国有化され、傍系だった旧神中鉄道が海老名を事実上の起点にしたこと。戦後は戦後で、大塚本町を2駅に分ける形で大規模な駅再編が行われたこと。海老名駅の大改造に加えて国鉄相模線にも海老名駅ができ、乗り換え機能が厚木から海老名に移ったこと。そして何より、「厚木」駅が「海老名市内」にあること。

概要を列挙するだけでも、ご覧のありさまです。実際には、砂利採取用の側線が伸びたり、駅至近にセメント工場が立地したりしていますし、各駅でも注目すべきスポットがたくさん残っています。鉄道史に絞っても、これだけ奇怪な歩みを示している地域は全国的に珍しいものです。逆にいえば、それだけ変化の激しい地域だったともいえるのでしょう。

  1. カナロコ(神奈川新聞)「相鉄海老名駅に「北口」 20年度供用目指す、広場と周辺道路整備も」(2014年1月9日)。※2017年6月12日現在リンク切れ

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