葛生
くずう
Kuzuu

葛生駅

 お世辞にも佳景とは呼べない、荒れ地と農地が交互に見える中を進みつつ、急勾配を上り、ぐいっと右にカーブを描いて秋山川を渡ると、終着の葛生駅に到着します。

 ホームの館林側に、駅本屋が直結しています。佐野線では(いや、佐野線にかぎらず東武の多くにおいて)、駅本屋はレールの方向と平行する形で建てられていますが、この葛生では縦長駅舎の正面はレールと同一線の館林方を向いています。もっとも、駅舎は他の駅と同様であり、たまたま出入口が“横”を向いていた、と見るべきかもしれません。

 有人駅ですが、佐野線内の他駅と同様、自動改札機はありません。駅正面の脇に臨時改札口と思われるラッチがありますが、別の改札を設けるほどの波動需要があったのか、あるいは出口と入口をかつてわけていたのか。

葛生駅正面

直線をベースとした駅舎の正面には、その右手に臨時改札口を控えており、意外な貫禄を示しています。《2005年9月24日撮影》

 駅舎の側面には、パンダの耳を想起させる丸いドーマー窓がちょこんと載り、庇の下には窓がずらりと並びます。窓はのちの改築時にアルミサッシに切り替えられたものと思われますが、他駅に比べて一回り大きい造作から、貨物の拠点駅としての貫禄がにじみ出ています。

 葛生は、かつて石灰石やドロマイトの搬出で活況を呈した駅で、1990年代後半にいたるまで、多数の貨物列車が頻繁に出入りしていました。葛生から先は、東武の貨物線2線のほか、日鉄鉱業の専用線も延びていました。貨物列車が廃止された現在、葛生駅はその広い構内を持てあまし気味ですが、もともと旅客用スペースは片面ホームのみで、これは貨物の衰勢と関係ありません。

葛生駅ホーム

旅客ホームが1面1線のみというのは不変。電車が止まっている場所の右側には、かつては貨物列車が盛んに出入りし、私鉄貨物王国東武の牙城となっていました。《2005年9月24日撮影》

 葛生駅前を歩くと「原人の町」という表示がやたらと目立ちます。これは、“葛生原人”の骨が出土したことで町起こしを図っているためなのでしょうが、考古学的には“葛生原人”など存在しなかったという結論が出ているにもかかわらず、無理に「原人の町」を標榜し続けることには疑問があります。“葛生原人”とは直接の関係はありませんが、旧石器遺跡発掘捏造事件以降、根拠の希薄な“学問的事績”を広報の主軸に据えることが危険であるという認識は、多くの自治体で共有されているはずなのですが…。

駅名の由来

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歴史

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周辺の見どころ

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【葛生郵便局】駅から北へ、徒歩6分。未訪。

2005年10月17日、写真を追加のうえ加筆修正

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