東京地下鉄

2020年6月現在、9線(丸ノ内線を2線とすると10線)から成る東京の地下鉄ネットワークを運営しています。本社は上野にあります。銀座線と丸ノ内線の2線が第三軌条集電方式(直流600V)・標準軌(1,435mm)をとっているほかは、既存の他社線との相互乗り入れのため、各路線共に架空線集電方式(直流1,500V)・狭軌(1,067mm)を採用しています。初期の地下鉄は、狭小なスペースを極力有効活用する動きが取られ、改札口も上下別々というものが多いほか、地形に応じて一部分が地上に出る駅が多いのが特徴で、銀座線の渋谷駅など、当駅に集まる各路線で一番標高が高いのが地下鉄駅という現象が発生しています。一方新しい地下鉄は、地下深いところに設置されている場合が多く、乗降や乗り換えの際には長大なエスカレータを乗り継いでいく必要があるケースが多くなっています。

路線網がきわめて複雑に入り組んでおり、異なる駅名でも同一駅と見なし改札内乗り換えが可能であったり(赤坂見附と永田町など)、同じ駅でも異なる改札どうしでの乗り換えが必要であったり(三越前など)するうえ、皇居を中心に、その東西南北のいずれを通るかで中途の経路が大幅に変わるため、2つの駅間を適切に乗り継げるようになるには、なかなか時間がかかります。

早川徳次が設立した東京地下鉄道によって、上野-浅草間が1927年に開業したのが、日本における地下鉄の始まりです。これとは別に、五島慶太が東京高速鉄道を設立し、その画策によって東京地下鉄の経営権が東京高速鉄道側に移り、1941年には、特殊法人・帝都高速度交通営団が設立され、東京における地下鉄の運営が統制下に置かれることになりました。戦後も、公共企業体に近い形態が維持されてきましたが、行政改革の進行に伴い、2004年4月1日に株式会社化され、会社名「東京地下鉄」、通称「東京メトロ」となりました。これと同時に、各駅にナンバリングが行われています。

(2004年12月23日)
(2020年6月6日、加筆修正)

【Link】東京地下鉄公式Webサイト

★1996年3月18日、南北線・駒込にて完乗(その後の開業区間も乗車済み)。2005年2月28日、日比谷にて全駅乗降(その後に開業した虎ノ門ヒルズ駅のみ未乗降)。

浅草から上野、新橋を経て渋谷へ至る14.3kmの路線で、正式名称は3号線銀座線です。全列車が各駅停車で運転され、他線との直通運転はありません。第三軌条集電方式(600V)で、軌間は1,435mm。ラインカラーはオレンジ色で、「渋谷駅で一番高いのが地下鉄」「店舗名を駅の名前に付けた地下鉄」など、数々の特徴を残しています。起点の渋谷が地上(高架3階)にあるほか、上野にある車両基地も地上に設けられており、ここには地下鉄唯一の踏切が存在します。古い路線の特徴として駅の位置が浅く、地上から乗り降りする際に必要な上下移動距離が短く、少なくとも健常者には使いやすい駅が多い一方で、階段が狭小でスペースの余裕がほとんどない駅が多く、バリアフリーへの対応には遅れが見られます。

渋谷から青山にかけての繁華街、赤坂見附から新橋にかけてのビジネス街、銀座から三越前にかけてのショッピング街、神田から浅草にかけての下町などを貫通しています。新橋-上野間で京浜東北線・山手線と競合しており、渋谷と上野を結ぶ鉄道という側面もあり、新型車両が導入された際には、JR山手線に比べて所要時間が短いことが、盛んに宣伝されました。

“日本最古の地下鉄”として知られ、早川徳次が創設した東京地下鉄道の手により、浅草-上野間が1927年12月30日に開業しており、当時は“東洋唯一の地下鉄道”として盛んに宣伝されました。田原町や稲荷町の駅には、開業当時の面影が今なお色濃く残っています。その後、万世橋(現在は廃止)、神田、三越前、京橋、銀座と延長され、1934年6月21日には新橋まで開業しました。一方、渋谷方面からは、五島慶太が創設した東京高速鉄道の手により、青山六丁目(現・表参道)-虎ノ門間が1938年11月18日に開業し、同年12月20日には渋谷へ、1939年1月15日には新橋まで開業し、この際に両鉄道が接続、相互運転を行うようになりました。1941年9月1日に帝都高速道交通営団として統合し、銀座線として完全に一体化しています。

(2005年1月2日)

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乗車履歴

  • 浅草-上野 1995年2月27日
  • 上野-外苑前 1993年11月28日
  • 外苑前-表参道 1991年7月7日
  • 表参道-渋谷 1994年5月25日

池袋から大手町、新宿、中野坂上を経て荻窪に至る24.2kmと、中野坂上から方南町までの3.2kmから成る路線で、正式名称は4号線丸ノ内線です。『鉄道要覧』では中野坂上-方南町間は「丸ノ内線分岐線」として別線扱いになっているため、弊サイトでもこれに準じます。全列車が各駅停車で運転され、他線との直通運転はありません。第三軌条集電(600V)方式で、軌間は1,435mm。2006年4月に全駅に可動式ホーム柵が設置され、2009年3月からワンマン運転を実施しています。ラインカラーは赤です。四ツ谷駅、御茶ノ水駅東側、後楽園駅、茗荷谷駅南東側で地上を走り、茗荷谷の車両基地も地上に設けられているなど、比較的浅いところを走っています。

新宿以西は沿線在住者を中心とした郊外路線、新宿-四ツ谷間は繁華街貫通線、赤坂見附-御茶ノ水間は中央官庁や大手企業本社が居並ぶビジネス路線、本郷三丁目-池袋間は沿線に数多くの大学などを抱える文京路線と、区間によって表情をころころ変える路線です。全線を直通する需要は皆無に等しく、短距離で乗客が入れ替わります。

池袋-御茶ノ水間が1954年1月20日、戦後の営団地下鉄最初の路線として営業を開始しました。その後、淡路町、東京、西銀座(現在は銀座に統合)、霞ケ関と延長され、1959年3月15日には、新宿まで開業しました。さらに、1961年2月8日に、荻窪線として、新宿-新中野間と中野坂上-中野富士見町間が開通し、1962年3月23日に荻窪線が全線開通しています。1972年4月1日、荻窪線が丸ノ内線に統合され、現在に至っています。

(2005年1月2日)
(2005年2月25日、加筆修正)
(2020年6月6日、加筆修正)

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  • 池袋-本郷三丁目 1995年8月11日
  • 本郷三丁目-国会議事堂前 1994年1月31日
  • 国会議事堂前-新宿 1995年5月12日
  • 新宿-荻窪 1995年8月18日

中野坂上から方南町までの3.2kmから成る路線です。営業案内上では明確な路線名がなく、単純に「方南町方面」「方南町支線」と呼ばれることが多いようです。ホームが短いため長らく3両対応になっていましたが、ホーム有効長延長に伴い、本線直通用の6両編成と支線内完結の3両編成が併用して運転されています。2004年5月、本線に先駆けて可動式ホーム柵が設置され、また7月にはワンマン運転が実施されました。

中野坂上からは南西側へ進みます。沿線は基本的に住宅地で、学校も多く立地しています。中野富士見町駅の先で、本線を含めた丸ノ内線系統の車両基地があります。

(2020年6月6日)

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  • 中野坂上-方南町 1995年8月18日

北千住から上野、秋葉原、日比谷を経て中目黒に至る20.3kmの路線で、正式名称は2号線日比谷線です。北千住で東武伊勢崎線、中目黒で東急東横線と接続しています。東武伊勢崎線と相互直通運転を行っており、有料着席列車「THライナー」を運行しています。一方、開通以来長らく行われてきた東急東横線との相互直通運転は、東横線と副都心線の相互乗り入れ開始と共に、2013年3月に終了しました。各駅停車の他、前述の「THライナー」が運行されています。ラインカラーはグレー。三ノ輪駅の東側から先は高架上を走ります。全区間で8両編成対応です。

銀座線と平行して走る区間が多くなっていますが、東銀座以北は下町、銀座以西はビジネス街と高級住宅地と、沿線の雰囲気が大きく分かれています。

1961年3月28日、南千住-仲御徒町間が開業したのが最初です。後、北千住、人形町および東銀座と順次開業しています。1964年3月には霞ケ関-恵比寿間が開業し、のちに中目黒まで延長、同年8月には東銀座-霞ケ関間の全線が開業しました。2000年3月8日には、恵比寿-中目黒間で、菊名行き列車の最後尾車両車輪が脱線して対向線路側に押し出され、反対方向を走ってきた車両と衝突して大破、乗客5名が死亡する大惨事が起こっています。2020年6月6日には、周辺の再開発に合わせて虎ノ門ヒルズ駅が開業、銀座線虎ノ門駅との乗換駅となりました。

(2005年1月2日)
(2020年6月6日、加筆修正)

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乗車履歴

  • 北千住-三ノ輪 1995年8月15日
  • 三ノ輪-人形町 1995年8月18日
  • 人形町-日比谷 1994年6月13日
  • 日比谷-中目黒 1995年9月1日

JR中央線の中野から、JR総武線の西船橋までを結ぶ30.8kmの路線で、中野から三鷹までJR中央線各駅停車に、西船橋から東葉勝田台まで東葉高速鉄道に相互乗り入れを行っているほか、平日の朝夕ラッシュ時には、西船橋からJR総武緩行線に乗り入れ、津田沼までの便が設定されています。全区間で10両編成対応です。

中央総武緩行線のバイパスルートとしての性格が強く、JR中央本線沿線から大手町方面へのメインルートとなっているほか、早稲田や九段下などには大学があるため、学生の利用客が多い点も特徴です。路線の東半分は、下町を突き抜けるように進んでいきます。江戸川以東になると、地上に出て高架上を走り、東陽町以東で浦安のみ停車の快速列車が設定されるなど、地下鉄というより、新興住宅地を走る郊外電車の趣が濃くなってきます。快速運転が行われているのは、東京地下鉄では東西線が長いこと唯一のものでした(その後、副都心線でも通過列車を運行)。東葉高速鉄道開業後には、南砂町・南葛西・葛西に停車する通勤快速も登場しました。

1964年12月23日に早稲田-九段下間が開業したのが皮切りで、以降、1966年3月16日に中野-早稲田間および九段下-竹橋間、1966年10月1日に竹橋-大手町間、1967年9月14日に大手町-東陽町蒼だと順次延長され、1969年3月29日に残る東陽町-西船橋間が開通しました。地下鉄開通後、東陽町以東の人口増加が著しく、1979年に西葛西、1981年に南行徳、2000年に妙典の各駅が開業しています。

(2004年12月23日)
(2020年6月6日、加筆修正)

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  • 中野-高田馬場 1995年8月18日
  • 高田馬場-早稲田 1993年(月日不詳)
  • 早稲田-西船橋 1995年8月18日

JR常磐線の綾瀬、北千住、大手町、霞ケ関、表参道を経て小田急線の代々木上原にいたる、21.9kmの路線で、正式名称は9号線千代田線です。全区間で10両編成対応です。この他、北綾瀬にある車両基地へ連絡する線路を活用した、綾瀬-北綾瀬間の支線2.1kmがあります。

綾瀬で常磐線各駅停車(緩行線)と接続しており、取手(朝夕ラッシュ時のみ、それ以外の時間帯は我孫子)まで相互直通運転を行っています。千代田線と常磐線各駅停車は事実上一体化した運行になっています。綾瀬にはJR常磐線快速・中距離列車が停車せず、快速・中距離列車と地下鉄・各駅停車の接続は北千住で行われ、このため経営主体の境界駅と旅客流動の境界駅が一致しないことから、営業上は非常に複雑な取扱いになります。例えば、同区間を通過する場合は、北綾瀬-綾瀬-北千住間のみに乗車する場合と、左記区間を含めて千代田線に乗車する場合は地下鉄の運賃を適用し、JRと乗り継ぎ綾瀬-北千住以外の千代田線に乗車しない場合はJRの運賃を適用します。また、南千住以西の千代田線と亀有以東を乗り継ぐ場合は、北千住が両社の境界駅と見なされます。この他、北千住-綾瀬間のみを乗車する場合はJRの乗車券は発売されず、また「青春18きっぷ」等JRの企画乗車券類に追加料金なしで乗車できます。

また、代々木上原では小田急小田原線と相互直通運転を行っており、小田急から「特急ロマンスカー」が乗り入れています。これは営団時代を含め、地下鉄で最初に走った有料特急です。

小田急線およびJR常磐線から、ターミナル駅を介さずに都心へ直接乗り入れる性格の濃い路線になっています。綾瀬から湯島までは東京北東部の下町を走る日比谷線のバイパス、新御茶ノ水-国会議事堂前間ビジネス街を通る丸ノ内線のバイパス的路線、赤坂-代々木上原間は繁華街を相互に連絡する路線といった性格です。全駅に可動式ホーム柵が設置されています。

1969年12月20日、北千住-大手町間が最初に開業しました。その後、1971年3月には霞ケ関へ、同年4月には綾瀬へ延長され、国鉄常磐線との相互直通運転を開始。さらに、1972年10月には代々木公園まで開業、小田急の代々木八幡で接続しました。1978年3月には代々木上原まで延長のうえ、小田急との相互直通運転が開始され、1979年12月には綾瀬-北綾瀬間が開業しています。

(2005年1月2日)
(2020年6月6日、加筆修正)

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  • 綾瀬-代々木上原 1991年7月5日
  • 綾瀬-北綾瀬 1995年8月15日

東武東上線の和光市から、小竹向原、池袋、飯田橋、有楽町を経て、JR京葉線の新木場に至る28.3kmの路線で、正式名称は8号線有楽町線です。和光市-小竹向原間は副都心線と線路および駅が共用で、小竹向原-池袋間は並行区間になっています(後者はかつて「有楽町新線」と呼ばれていました)。和光市で東武東上線と接続し、森林公園まで相互直通運転を行っています。また、小竹向原で西武有楽町線に接続し、西武池袋線飯能まで直通運転を行っています。有楽町線内は全便が各駅停車で、ラインカラーは黄色です。

和光市から池袋までの区間は、従来鉄道が通っていなかった住宅地の中を進みます。池袋から都心の官庁街・ビジネス街を短絡し、皇居の南側を通って有楽町、銀座一丁目という一大商業エリアを通り、京葉線とりんかい線の駅がある新木場へ至ります。基本的には各駅停車での運行ですが、有料着席列車「S-TRAIN」が小手指・所沢-豊洲間を運転しています。

丸ノ内線のバイパス路線として計画され、1974年10月30日に池袋-銀座一丁目間が開業しました。その後、1980年3月に銀座一丁目-新富町間、1983年6月に営団成増(現・地下鉄成増)-池袋間が開通し、1987年8月には和光市まで開業するとともに、東武東上線との相互直通運転が開始されました。1988年6月8日には新木場までの全線が開通し、同年12月に新木場-南船橋間ほかを開業させたJR京葉線が接続しました(同線の東京乗り入れは2000年)。

(2005年1月2日)
(2020年6月6日、加筆修正)

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乗車履歴

  • 和光市-永田町 1995年3月17日
  • 永田町-新木場 1995年8月18日

東急田園都市線の渋谷から、永田町、九段下、大手町、三越前、清澄白河を経て押上に至る、16.8kmの路線で、正式名称は11号線半蔵門線。渋谷で東急田園都市線と、押上で東武伊勢崎線と相互直通運転を行っています(中央林間および南栗橋まで)。ラインカラーは紫色。押上は2社のジャンクションという雰囲気がありますが、渋谷はごく単純な1面2線駅で、渋谷発着の列車がまったく設定されておらず、事実上東急側と地下鉄側が同一路線として運行されていることもあり、単なる境界駅になっています。また、沿線に車両基地がなく、相互乗り入れ先である東急田園都市線の鷺沼に検車区があります。

混雑の激しい銀座線のバイパス路線として計画され、1978年8月1日に渋谷-青山一丁目間が先行開業し、同時に東急新玉川線(現・田園都市線)と相互直通運転を実施しています。1979年9月には永田町、1982年12月には半蔵門まで開通しています。皇居北側の区間は、用地買収などの問題で開業が遅れましたが、1989年1月に三越前、1990年11月に水天宮前へと延長されました。2003年3月には押上まで延長開業し、同時に東武との相互直通運転を開始しています。

(2005年1月2日)

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乗車履歴

  • 渋谷-神保町 1993年6月23日
  • 神保町-水天宮前 1994年6月13日
  • 水天宮前-押上 2003年3月25日

目黒から、白金高輪、溜池山王、後楽園、駒込を経て赤羽岩淵に至る、21.3kmの路線で、正式名称は7号線南北線。全駅にホーム全体を覆うフルスクリーン型ホームドアが設置されており、各列車ともワンマン運転が行われています。目黒で東急目黒線、赤羽岩淵で埼玉高速鉄道線と接続し、相互直通運転を行っています(武蔵小杉および浦和美園まで)。ラインカラーはエメラルドグリーンで、新しい路線ということもあって非常に深い場所に設置された駅が多くなっているほか、駅ごとに区別が付きやすいようカラーリングなどを細かく変更して特徴を出すような工夫が施されています。目黒-白金高輪間は、東京地下鉄が第1種鉄道事業者、東京都が第2種鉄道事業者となっていますが、営業案内上は東京都との実質的な二重戸籍区間となっており、該当区間のみを乗車する場合は東京地下鉄、それ以外の場合はそれぞれ乗り入れ先の路線を経営する事業体に乗車するものと扱われています。

両端の目黒-溜池山王間および後楽園-赤羽岩淵間は、それまでの“地下鉄真空地帯”をフォローする格好で走っており、特に白金高輪付近では、地下鉄の開業に伴って人の新しい流れが生まれ、街の風景が大きく変わりました。

1991年11月29日に、駒込-赤羽岩淵が開業したのが始まりです。1996年3月に四ツ谷、1997年9月に溜池山王と順次延長されました。2000年9月26日に目黒までの全線が開通し、同時に東急と相互直通運転を開始しました。2001年3月には、埼玉高速鉄道線の開通に伴い、同線との相互直通運転を行っています。

(2005年1月2日)

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乗車履歴

  • 駒込-赤羽岩淵 1996年3月18日
  • 溜池山王-駒込 1997年9月30日
  • 目黒-溜池山王 (確認中)

小竹向原から池袋、新宿三丁目を経て渋谷へ至る11.9kmの路線ですが、この他和光市-小竹向原間は有楽町線と線路および駅を共用しています。正式名称は13号線副都心線。全区間で10両編成対応です。東京メトロの各路線で唯一都心(千代田区)を通っていない路線で、池袋、新宿、渋谷の「三大副都心」を通ることからこの名称になった模様ですが、新宿三丁目駅は新宿副都心とはJR新宿駅を挟んで反対側に位置しているため、新宿利用者にはいささか違和感が残る駅名ではあります。小竹向原では有楽町線と同様に西武有楽町線と接続し飯能まで相互直通運転、小竹向原から先の和光市で東武東上線と接続し小川町まで相互直通運転しています。さらに、渋谷では東急東横線に大半の列車が直通しており、事実上一体化した運行で、横浜高速鉄道元町・中華街駅まで相互直通運転しています。

小竹向原から池袋までは、有楽町線と完全に並行しており、この区間は当初「有楽町新線」と呼ばれていました。池袋から先は山手線の東側、明治通りの下を進み、山手線のバイパスとしての役割を担っています。新宿三丁目では丸ノ内線および都営新宿線と接続していますが、JR新宿駅への徒歩連絡も容易です。渋谷は東急管轄の駅です。

和光市-渋谷間で「急行」および「通勤急行」が運転されており、通過線のある東新宿で通過待避が行われます。この他土休日には、横浜高速鉄道元町・中華街駅と西武秩父線西武秩父駅を結ぶ有料着席列車「S-TRAIN」が運転されています。

最初に開通したのは「有楽町新線」と呼ばれた小竹向原-池袋間が1994年12月に運転されたのが最初で、この時点では池袋駅自体も他の路線と離れており、全くの暫定開業でした。2008年6月14日に池袋-渋谷間が開業し、それまでの有楽町新線を繰り入れて「副都心線」の名称が使用開始、東武東上線および西武有楽町線・池袋線との相互直通運転が開始されます。2013年3月16日には、東急東横線および横浜高速鉄道との相互直通運転を開始しました。

(2020年6月6日)

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  • 小竹向原-池袋 (確認中)
  • 池袋-渋谷 2008年8月24日

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