高架上に島式ホーム1面2線
高架線のまま、駒沢通りを斜めに横切っていくと、程なく学芸大学駅に到着します。
島式ホーム1面2線が設けられています。
高架化される前は、この学芸大学と、次の都立大学の間に碑文谷工場があり、渡り線が設けられていましたが、今ではその痕跡はほとんどうかがえません。
高架線のまま、駒沢通りを斜めに横切っていくと、程なく学芸大学駅に到着します。
島式ホーム1面2線が設けられています。
高架化される前は、この学芸大学と、次の都立大学の間に碑文谷工場があり、渡り線が設けられていましたが、今ではその痕跡はほとんどうかがえません。
改札口は、高架化から降りた地平に1カ所設けられています。駅名となっている東京学芸大学はすでに移転しており、辛うじて、進学校として有名な東京学芸大学附属高等学校があります。
駅周辺には、東口と西口に、それぞれ商店街が形成されています。高架下の東西自由通路が、商店街をうまくつなぐ形になっています。
急行が停車します。
東側から順に、1番線、2番線となります。
駅から徒歩圏内にあった、東京学芸大学によるものです。
東京横浜電鉄開通当時からの駅です。当初は「碑文谷」と称していましたが、東京府立青山師範学校が移転してきたことを受けて1936年に「青山師範」と改称し、ついで学校名の変更とともに1943年に「第一師範」、学制改革後の1952年に「学芸大学」となりました。東京学芸大学は1964年に小金井に移転したが駅名はそのままで、1999年に利用客を対象として行ったアンケート調査では、駅名変更の支持はごく少数にとどまり、従来の駅名が存続することになりました。
確認中。
駅から南西へ、徒歩5分。もとは将軍家が鷹狩りを行ったとされる公園で、ボート漕ぎができる弁天池の周囲には緑道が整備されているほか、小動物園があり、ポニーなどに乗ることもできます。
【Link】碑文谷公園案内Webページ(目黒区:2017年5月17日確認)
【Map】OpenStreetMap / Google Map / Mapion
駅から南へ、徒歩20分。平安時代に円仁が開基したと伝わる天台宗の古刹。1283年に日源上人の手により日蓮宗に改宗、1698年に江戸幕府の圧力で天台宗に復するまで続きました。唐様と和様を取り合わせた屋根が美しい本堂釈迦堂は、国指定重要文化財。
【Link】円融寺公式Webサイト
【Map】OpenStreetMap / Google Map / Mapion