阪急電鉄

阪急電鉄(略称、阪急)は、阪急東宝グループを統括する阪急ホールディングスの子会社で、大阪府大阪市北区に本社を置く大手民鉄です。京都、宝塚、神戸の3本線を軸に144.6kmの鉄道路線を持つほか、宝塚歌劇団の運営も行っています。このうち、宝塚線系統と神戸線系統は規格が同じで車両も共用されているため、両者をあわせて「神宝線」と呼ばれます。落ち着いたマルーンカラーが特徴で、その高級感は阪急ブランドの象徴となっています。なお、三宮-西代の神戸高速線にて第二種鉄道事業を行っていますが、これは同区間を所有する神戸高速鉄道が自社による列車運行を行っていないことによるもので、運賃など営業体系は別立てとなっています。このため本稿では、同区間は神戸高速鉄道に含めます。

小林一三が設立した箕面有馬電気鉄道によって1910年3月10日に梅田-宝塚および石橋-箕面が開通したのが始まりで、1918年には社名を阪神急行電鉄と改称のうえ1920年には神戸線を開通(当時のターミナルは現在の王子公園駅西側)させ、阪神電気鉄道と激しいライバル関係になります。戦時中の1943年には京阪電気鉄道と合併して京阪神急行電鉄となるも、戦後に旧京阪の大多数が再分離、戦後は宝塚線、神戸線のほか京都線(旧新京阪線)から成る路線となり、京阪とも競合関係となっています。1936年から1988年まではプロ野球球団「阪急ブレーブス」を持っていましたが(本拠地は西宮スタジアム)、強豪チームであるにもかかわらず観客は低迷が続き、阪神タイガースとは好対照となってしまいました。その後は、バブル崩壊に伴う再開発事業失敗により巨額の損失を抱えたこともあり、グループ事業を再編する過程で、従来の阪急電鉄はグループを統括する持株会社となり、新・阪急電鉄が2005年4月1日に発足しました。さらに2006年10月1日には、阪神電気鉄道の完全子会社化によって阪急ホールディングスは阪急阪神ホールディングスと改称、阪急電鉄と阪神電気鉄道がともに同社の傘下に入ることとなりました。

(2006年9月30日)
(2006年10月12日、加筆修正)

【URL】http://www.hankyu.co.jp/

★1991年3月6日、石橋にて完乗。2008年7月6日、南千里にて全駅乗降(その後の開業駅も乗降済み)。

十三から淡路、高槻市、桂を経て河原町にいたる、45.3kmの路線です。軌間こそ1,435mmですが、前身が京阪ということもあって線路の規格が宝塚線や神戸線とは異なっています。

起点は十三ですが、すべての列車が梅田発着となっており、梅田-十三は宝塚線複々線区間の一部という扱いになっています。十三の先で急カーブを描き東に曲がり、千里線で淡路を越えると、住宅と工場が混在する中を進みます。基本的に直線が多く高速運転に適した線形になっていますが、これは京阪間を高速で結ぶことを第一に設計されたためです。かつては、十三から大宮までノンストップの特急が運転されていましたが、現在は中間の停車駅が増加しており、京阪ノンストップの列車はありません。

現在の京都本線の土台となった新京阪鉄道は、1923年4月に十三-淡路-豊津を運行していた北大阪電気鉄道の路線を譲受し、1928年11月に西院までの区間を開通させ、1930年4月には天神橋(現、天神橋筋六丁目)と西院を結ぶ「超特急」を運行しました。この超特急は、平行する国鉄の特急「つばめ」よりも速かったともいわれ、高速都市間輸送の代表として名をはせました。もっとも、沿線人口が希薄だったこともあり1930年9月には京阪が合併、翌1931年3月には京阪京都(後の阪急京都、現在の大宮)まで乗り入れています。1943年10月には、阪神急行電鉄(現、阪急)が戦時統合により京阪を合併しましたが、戦後の京阪再分離の際には新京阪線系統は阪急に残り、天神橋-淡路-阪急京都は京都本線となります。阪急統合後、京都線の列車は順次梅田へ乗り入れるようになりましたが、1959年2月に梅田-十三の別線が完成、これに伴い十三-淡路-阪急京都が京都本線となり、天神橋-淡路は千里山線となりました。1963年6月には大宮(阪急京都から同日改称)-河原町が開業し、京都市中心部への乗り入れを果たしました。

(2006年10月7日)

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  • 不明

天神橋筋六丁目から淡路を経て北千里にいたる、13.6kmの路線です。

天神橋筋六丁目では地下鉄堺筋線と接続し、同線と一体化して相互直通運転を行っているため、天神橋筋六丁目駅は事実上中間駅となっています。いっぽう淡路以北は、千里ニュータウンの通勤通学路線で、京都本線に乗り入れて梅田へ直通する列車も多数設定されています。淡路以北では、線内列車はすべて各駅に停車します。

北大阪電気鉄道が1921年に十三-淡路-豊津を開業させたのが前身で、同年には千里山まで開業しました。1923年には新京阪鉄道の手に移り、1925年には天神橋(現、天神橋筋六丁目)-淡路が開業し、天神橋をターミナルとしました。新京阪線と同様、戦後の京阪分離後は阪急に残り、1963年には千里山-新千里山(現、南千里)が開通します。さらに、1967年には北千里まで延伸し、路線名がそれまでの「千里山線」から現在の「千里線」に変更されています。なお、1969年には天神橋駅が地下駅となって天神橋筋六丁目と改称、相互直通運転の相手先である大阪市が管理運営するようになりました。

(2006年10月7日)

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  • 天神橋筋六丁目-淡路 1989年3月28日
  • 淡路-北千里 1991年3月5日

京都本線の桂から嵐山にいたる4.1kmの路線で、全線が単線です。全列車が線内のみの折り返し運転ですが、秋の観光シーズンなどには臨時列車が京都本線から乗り入れることがあります。京都西郊の生活路線という面と、大阪と嵯峨野方面を結ぶ観光路線という面の双方を持ちます。

新京阪鉄道の手により、1928年11月に全線が開通しています。開通当初は全線が複線でしたが、戦時中に単線化されたまま現在にいたっています。

(2006年9月30日)

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  • 桂-嵐山 1988年11月10日

梅田から十三、石橋、川西能勢口を経て宝塚にいたる、24.5kmの路線です。京都本線や神戸本線とは異なり、都市間連絡輸送よりは大都市郊外の通勤通学路線としての性格が濃厚です。

梅田から十三までは神戸本線との重複区間で、宝塚本線としては複々線です。もっとも、実際には宝塚線(中津駅あり)と京都線(中津駅ホームなし)が平行しているだけで、実質的には梅田-宝塚が一本の複線になっています。全体的にカーブが多く、また住宅の多い地域を回り込むようにして線路が敷かれているため、梅田から宝塚まで乗り通す場合、神戸線と今津線を乗り継ぐほうが早く到着します。このため、三国駅での急カーブ解消、高架化の進展などにより速度の向上が図られています。

石橋で分岐する箕面線へ乗り入れる列車があるほか、川西能勢口で接続している能勢電鉄には、特急「日生エクスプレス」が直通運転を行っています。

箕面有馬電気軌道によって、1910年に梅田-宝塚の全線が開通しました。なお、宝塚から有馬温泉にいたる区間は、技術および資金の両面の理由で頓挫しています。同社の小林一三は、路線開業後は沿線の住宅開発を積極的に進め、娯楽施設の建設や学校の誘致などをはかるとともに、ターミナルである梅田を一大商業拠点としました。戦後は慢性的な輸送力不足と速度低下に悩まされましたが、JR福知山線の高速化などもあり、現在ではかなり改善されています。

(2006年10月7日)

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  • 十三-中山 1989年6月25日
  • 中山-宝塚 1987年1月1日

宝塚本線の石橋駅から箕面へいたる、4.0kmの路線です。全線が複線化されています。一部の列車が、石橋から宝塚線経由で梅田まで直通しています。

箕面から大阪方面への通勤通学路線としての色彩が濃い箕面線ですが、紅葉の見どころである箕面公園への観光路線という役割もあります。

阪急の前身である箕面有馬電気軌道によって、宝塚線と同時に開業しました。

(2006年10月7日)

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  • 石橋-箕面 1991年3月6日

大阪のターミナルである梅田と、神戸のターミナルである三宮を結ぶ、全長32.3kmの路線です。このうち梅田-十三は、宝塚本線との重複区間になっています。

もともと阪神本線に対抗するため、阪神間を高速で運転することを目的としたため、山手をほぼ一直線で結び、カーブによる減速を極力避けています。大都市部の大手民鉄としては駅の数が少ないのも特徴で、両端を含めた駅数は16、平均駅間距離は2.15kmに及びます。かつては、停車駅を極少化した特急列車が走っていましたが、2006年10月のダイヤ改正で、途中停車駅は4つ(十三、西宮北口、夙川、岡本)となり、様変わりしています。

十三で宝塚、京都両線を分けると、神崎川のなす低湿地を進み、尼崎市北側の工業地、ついで住宅地を走ります。おおむね塚口を境に西側が住宅地となっています。武庫川を越えると西宮市に入り、ほどなく車庫のある西宮北口駅。ここが交通の要衝となっており、緩急接続が行われます。夙川以西は高級住宅地を串刺しにするような形で進んでいき、これは六甲付近まで続きます。三宮は、JRや阪神の駅よりもやや西側にずれた位置にあります。

(2006年9月30日)

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  • 不明

神戸本線の塚口から分岐し、伊丹へいたる3.1kmの路線です。全線が複線化されています。ほぼ南北を一直線に走りますが、塚口駅を出てすぐ、および伊丹駅の南側でカーブを描いています。

おおむね住宅地の中を進んでいき、沿線には歓楽街や繁華街といったものがこれといってなく、甲陽線とともに、もっとも阪急らしい路線といえましょう。

阪神急行電鉄の手によって、神戸本線と同時に開業しました。なお、阪神が尼崎から宝塚へいたる路線に食指を示したことから、阪急では伊丹から先の区間の軌道特許を取得したものの、現在に至るまで着工されていません。

(2006年10月7日)

伊丹から先の軌道特許は失効しています。

(2007年12月24日、加筆)

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  • 塚口-伊丹 1987年11月5日

宝塚から西宮北口を経て今津へいたる、9.3kmの路線です。地図上では南北をまっすぐ結んでいるように見えますが、実際の線路は西宮北口で分断されており、この南北を直通する列車はありません(物理的に直通できません)。このため、西宮北口駅以北を「今津北線」、西宮北口以南を「今津南線」と呼ぶことがあります。

今津北線の沿線は住宅地が続き、特に繁華街などは形成されていません。ちょうど中ほどにある仁川駅近接の阪神競馬場で競馬が開催される日にはたいへんな混雑となります。いっぽう今津南線は阪急と阪神を結ぶような形になっており、阪急屈指の地味な路線です。

1921年9月に、西宝線として宝塚から西宮北口へいたる路線が開通したのが前身で、1926年12月に今津まで延長された際に今津線と改称しました。神戸本線とは長らく平面交差(ダイヤモンドクロス)しており、これが列車の増発や長大化に際してネックになったことから、1984年に今津線は南北に分断され、ホームも別々になりました。

(2006年9月30日)

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  • 宝塚-門戸厄神 1987年1月1日
  • 門戸厄神-西宮北口 不明
  • 西宮北口-今津 1986年

神戸本線の夙川駅から分岐し、苦楽園口から甲陽園にいたる、全長2.2kmの路線です。全線が単線で、唯一の中間駅である苦楽園口で列車交換が可能です。神戸本線との直通列車は設定されていません。夙川右岸の一部地域で「甲陽園線」の呼称をよく耳にしましたが、正しくは「甲陽線」です。

1面1線の夙川駅を出ると、夙川右岸の閑静な住宅地を進みます。比較的大きい住宅が多いうえに夙川地域に多く見られる松が車窓を彩ります。住宅が途切れて左右の見通しが広がると、ほどなく苦楽園口駅となります。この先はしばらく夙川に沿い、特に3月末にはサクラが非常に美しいのですが、この区間は高架化の計画があり、現在の景観がいつまで維持されるか心許ない状態になっています。夙川をオーバークロスするとしだいに傾斜地となり、急カーブを描きながら勾配を進み、これ以上は無理といったところに終着の甲陽園駅が設けられています。

1924年10月に全線が開通していますが、これは当時、この地域に阪神が勢力を伸ばそうとしていたことに対して先手を打ったためです。

なお、某アニメの舞台となったことで、一部でその知名度が一躍高くなったとのことです。

(2006年9月30日)

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  • 不明

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