かつては保養地でした

苦楽園口

くらくえんぐち
Kurakuenguchi
苦楽園口駅
▲苦楽園口駅駅舎《2005年8月9日撮影》
苦楽園口駅ホーム
【写真1】苦楽園口駅ホームから夙川方面を見ると、安全側線が分かれているのが見えます。《2005年8月9日撮影》

夙川公園の中に位置している駅で、対向式ホーム2面2線から成り、列車交換が可能です。データイムには列車交換は行われず、1編成が夙川と甲陽園の間をピストン運行しているのみですが、夙川行きは東側、甲陽園行きは西側のホームに進入します。

駅舎は西側に設けられており、東側ホームとは地下道で連絡しています。駅舎にはさしたる特徴はありません。このほか、東側ホームは地上と直接通じる改札が別途設けられています。

駅前広場と呼べるものはありませんが、東西に走る道路は、この苦楽園口駅のところで屈曲しており、あたかも苦楽園口駅が邪魔をしているかのようにも見えます。実際、西側からこの道路を東進すると、駅のところでいったん北側に曲がり、さらに東へ曲がるとすぐに踏切、そのすぐ先に信号があるため、自動車を運転するときには神経を使う場所になっています。

駅の西口には住宅街が広がっているほか、個人商店が並んでいます。個々の店舗は小さいものの、比較的単価の高い商品を扱うところが多いのが特徴です。また、駅の東側はすぐ夙川で、サクラの季節には花見客が宴会を繰り広げる地域にあたります。

乗り場

号線表示はありません。

駅名の由来

甲陽線開通前、この駅の西側にラジウム鉱泉「苦楽園温泉」があったことによります。苦楽園の名の由来は特にありませんが、すでに存在していた「香櫨園」や「甲陽園」に比べて保養地的な雰囲気を出そうとしたものと推測されます。なお一説に、文久年間に都落ちした七卿の一人である土方久之が持っていた「苦楽瓢」が基になっているともいいます。

歴史

甲陽線が開通した1924年10月当初は「越木岩信号所」でしたが、翌1925年3月に駅に昇格しています。苦楽園が温泉地として繁栄した時代はすでに過ぎていたため、駅の開設が後回しになったものと思われます。

周辺の見どころ

廣田神社

駅から東へ、徒歩15分。日本書紀に由来が記されている古社。神功皇后凱旋の際に立ち寄ったとされる神社で、このため地元ではスポーツや受験の神様として定着しており、阪神タイガースが毎年参拝しています。たび重なる火災等のため、建造物はすべて新しいものになっています。神社の境内は広く、貴重なツツジが自生しているほか、こんもりした森になっているため散策に好適。拝観自由。なお、苦楽園口駅からほど近いところに、摂社でこれも日本書紀に記載のある名次(なつぎ)神社があります。

【URL】http://www.geocities.jp/hirotahonsya/

夙川公園

駅東側一帯。夙川駅を参照のこと。

満池谷

駅から東へ、徒歩12分。ニテコ池、越水浄水場、満池谷墓地から成る一帯は、夙川公園と並ぶ桜の名所として知られており、4月初頭には越水浄水場が一般公開されます。「西宮震災記念碑公園」には、犠牲者を追悼する石碑が設置されています。ニテコ池周辺はお屋敷街となっており、場所によっては昼間も静かで暗いため徒歩散策には不向き。野坂昭如『火垂るの墓』の舞台として有名。

樋之池公園

駅から西へ、徒歩8分。プールやテニスコートがあり、地元住民のスポーツ利用拠点となっています。同名の池の周りは散策路となっており、のんびり過ごすのに好適。散策自由。

【甲陽線】 夙川苦楽園口甲陽園

2003年10月13日
2005年9月2日、写真を追加の上加筆修正
2006年9月30日、加筆修正

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