北条鉄道

 第1次特定地方交通線・国鉄北条線の営業を譲受するために設立された、沿線の県や市などが出資する第3セクター企業です(本社:兵庫県加西市)。

 国鉄から1985年4月1日、三木線とともに転換した北条線13.6kmを運営しています。利用の低迷が続いていることもあり、ボランティア駅長を全国で公募するなど、最近になって多様な企画を打ち出しています。

(2006年10月14日)

【URL】 http://www.hojorailway.jp/

★1989年7月19日、粟生にて完乗。2007年7月14日、播磨横田にて全駅乗降。全駅の写真を掲載しています。

北条線

 粟生から北条町にいたる全長13.6kmの路線で、全線が非電化単線、ワンマン運転を行っています。国鉄時代は加古川線の支線として、粟生から加古川線に乗り入れ加古川までの直通列車が走っていましたが、現在では粟生での線路は切り離されています。電化の成った加古川線、あるいは神戸電鉄粟生線との直通運転の声が鉄道ファンからしばしばあがりますが、現時点では具体的な話が出るにはいたっていません。

 営業上の特徴として、定期券や記念切符、企画乗車券などを除いて乗車券の発売を一切行っておらず、駅での改札も廃止してワンマン列車からの下車時のチェックのみにしている点があげられます。粟生から北条町まで、加古川水系が形成した平野部を淡々と進み、のどかな田園地帯が車窓に広がります。駅はすべて国鉄時代からのもので、平均駅間距離は約1.9kmあり、これは新駅を積極的に設置した三木鉄道と対照的といえましょう。法華口、播磨下里、長に古典的な木造駅舎が残っていますが、法華口をはじめとして老朽化が進んでいます。終点の北条町に本社や車両基地が設けられていますが、この北条町駅以外には北条鉄道の職員は配置されておらず、行き違い設備はおろか側線さえ設けられていません。列車の増発が物理的に困難であるため、総括制御できない異形式のレールバスが仲良く連結して走る姿が朝ラッシュ時に見られます。このため、ほぼ中間地点にあたる法華口で、列車交換設備を復活させる動きがあります。

 播州鉄道が現在の加古川線の支線として延ばした路線で、1915年3月3日に全区間が開通しました。1923年12月21日に播丹鉄道への譲渡を経て、1943年6月1日に国有化され国鉄北条線となりました。戦時中には網引駅付近で戦闘機の不時着に伴う大事故が発生しています。国鉄時代には大きな変化はありませんでしたが輸送量の落ち込みが続き、1968年には「赤字83線」に名を連ねることとなり、さらに1981年には高砂線や三木線とともに第一次特定地方交通線に指定され、1985年4月1日に北条鉄道に転換されました。

(2007年12月23日)

駅一覧

粟生網引田原法華口播磨下里播磨横田北条町

乗車履歴

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