小さなカラダで多数の乗降客をさばく駅

神野

かんの Kanno
神野駅
▲神野駅駅舎《2007年7月14日撮影》

 

神野駅上りホーム
【写真1】神野駅上りホーム。《2007年7月14日撮影》

神野駅は、加古川線各駅(加古川駅を除く)の中で最も乗降客の多い駅で、国鉄末期には加古川線グループ(高砂線、三木線、北条線、鍛冶屋線を含む)全体でも乗降客数ナンバーワンでした。加古川線のうち加古川-厄神のみの区間運転が多数設定されているのは、乗降客数1位の神野、2位の厄神における需要を裏打ちしているためです。

そんな神野駅ですが、駅の設備自体はごくコンパクトなものです。相対式ホーム2面2線から成る交換可能な駅で、駅本屋は上り線側にあり、下り線との間には跨線橋が設けられています。利用者が多いために「みどりの窓口」が設けられているものの、売店や自動改札機などはありません。駅舎も木造平屋建ての小さいもの、ホームも加古川線電化に伴いかさ上げされたものの狭く、多数の乗客があふれる駅とはややミスマッチにみえます。

駅舎は横に長くのびたものですが、待合室部分のみ屋根がせり上がっています。形状から察するに、1940年代のものと思われます。

駅前広場こそかなりの広さがあるものの、駅前には商店の類はほとんどなく、また駅前へと通じる道路も非常に狭いため自動車の出入りがしにくくなっています。駅の北側、南西側、南東側には大きな住宅地が広がっていますが、駅舎および駅前の風景からそれを推測するのは難しくなっています。駅の南西側には大きなスペースがありますが、もともと貨物扱いを行ってこなかったこの駅で、何を行っていたのでしょうか。

駅からほど近いところを流れる加古川の河川敷には、マラソンロード「みなもロード」が整備されています。

乗り場

確認中。

駅名の由来

開業時、神野村に設置されたことによります。神野の地名はもと加納庄と称し、神納とも書く。近世に改められて神野となる[1]といいます。

歴史

播州鉄道が加古川町(現、加古川)-国包(現、厄神)間を開通させた際に設置された駅です。当初は停留場で、1929年8月23日に駅へ格上げされています。

1913年4月1日
開業。

周辺の見どころ

北山公園

駅から南東へ、徒歩15分。西条廃寺跡を整備してつくられた県営の史跡公園で、法隆寺式伽藍配置であった同寺院の基盤が整備されています。周辺は一大古墳群となっていましたが、住宅開発に伴ってその数は減少、現在では行者塚古墳、尼塚古墳、人塚古墳が残っています。公園内散策自由。

  1. 村石利夫『JR・第3セクター 全駅名ルーツ事典』東京堂出版、2004年、■ページ。

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