かつての県の代表駅もいまは虚し

紀和
きわ
Kiwa

紀和駅

 かつては「和歌山駅」だった名残か、構内はずいぶんと広く、堂々としたものですが、現在は1面1線のみの無人駅で、モルタル造の大きな駅舎や草むした広大な構内が、数の少ない乗降客とは不釣り合いな印象を与えます。

 ローカル駅と同等程度の規模の待合室や出札窓口は、以前からこの駅がさほど重要ではなく、実質的には東和歌山(現・和歌山)が玄関口になっていたことをうかがわせます。無人化されて久しく、出札窓口は板でふさがれていました。改札口には乗車駅証明書発行機が設置されていたものの、ボタンを押してみたところ、機械が故障しており証明書は出てきませんでした。自動券売機やJスルー対応改札機などもなく、何十年も前から放置されたままといった印象を受けます。

紀和駅出札窓口跡

かつての出札窓口は、県庁所在地の玄関駅にしてはずいぶんと小ぶり。《2005年8月6日撮影》

 駅舎はなかなか大きいものですが、これでも木造平屋で、天井の高さがかろうじてかつての威勢を見せているといえましょうか。それとて、現在はまったく補修が行われていないせいか、壁面の剥落や汚れがずいぶん目立ち、地震などが発生した場合には危険なのではないかと思わせる、老朽建造物に成りはてています。

紀和駅改札口上

紀和駅内部の老朽化は深刻で、地震などが発生した場合にはかなり危険と思われます。《2005年8月6日撮影》

 かつては、複数のホームと跨線橋で連絡していたといわれますが、現在では片面ホームと、その北側に1本のみ残っているレールが放置されているのみです。用途は不明ですが、現在工事が行われており、完全に1線化される日も近いのかもしれません。

紀和駅ホーム

現在の紀和駅は、駅舎側の1面1線を使うのみとなっています。《2005年8月6日撮影》

 駅は、和歌山の市街地の北側に位置しています。周囲には、一戸建ての住宅や小ぶりな飲食店などが建ち並んでいますが、およそ活気というものはまったく感じられず、昼間からしんと静まりかえっています。駅の近くには、大きなロータリーが整備されています。

駅名の由来

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歴史

 1898年5月、紀和鉄道(現・和歌山線)のターミナルとして開業しました。1904年8月27日の関西鉄道による買収、1907年10月1日の国有化の後もこのままで、長らく「和歌山」駅として営業していましたが、東和歌山(現・和歌山)がしだいに重要性を増していきました。1968年2月1日に、現駅名に改称され、その1か月後の3月1日に、東和歌山が「和歌山」と改称しています。さらに、1972年3月15日には、和歌山線の終着駅が(新)和歌山となり、紀和-田井ノ瀬は紀勢本線へと所属変更になったうえ、1974年9月末かぎりで同区間は廃止されています。また、国鉄末期の1986年10月末かぎりで荷物扱いが廃止となっており、これによって無人化されたものと思われます。

周辺の見どころ

 特になし。

【和歌山中野島郵便局】駅から南へ、徒歩6分。

2005年8月28日、写真を追加のうえ加筆修正

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