通勤輸送に徹した1面1線のみの駅

和田岬
わだみさき
Wadamisaki

和田岬駅

 片面ホームのみからなる、和田岬支線の終着駅です。終着駅とはいっても、和田岬支線は兵庫と和田岬を結ぶのみで中間駅が存在しないので、地図で見ると引き込み線の先に駅が設けられているような印象さえ受けます。実際、かつては和田岬から先へ専用線の線路が延び、近くにある三菱重工業神戸造船所の工場まで続いていました。

和田岬駅(1)

片面のみの和田岬駅ホーム。《2006年2月4日撮影》

 現在は無人化されていますが、乗客の改札は本線との接続駅である兵庫駅に中間自動改札機を設置することで対応しています。ひと駅の枝線の分岐駅で改札を行う方式は、東武大師線などと同様のスタイルです。

 駅舎は無骨な鉄筋コンクリート造平屋建てで、シンプルで直線的なデザインとなっている一方軒を広めにとることでキャパシティに余裕を持たせています。戦時中に建造されたためか、やや威圧感を感じるものです。

和田岬駅(2)

無人化されており、改札も設置されておらず駅構内はフリーパス状態です。《2006年2月4日撮影》

 利用者の大半は、上記工場などへの通勤客で占められており、朝夕のラッシュ時に一方向のみが大量の旅客を運ぶという形態になっています。昼間利用が極端に少ないこともあり、列車のダイヤも朝夕に偏ったものとなっており、昼間時間帯はガラガラになっています。現在は汎用的な電車が使われていますが、電化される前は車両の片方のみに扉があり、ロングシートの大半が撤去されるという特殊な専用車両で運転されていました。

和田岬駅(3)

和田岬駅に停車中の電車。《2006年2月4日撮影》

 駅の周辺には工場と住宅とが混在していますが、前述のとおり三菱重工神戸造船所あるいはその周囲の工場への通勤客が利用客の中心です。神戸市営地下鉄海岸線が2001年7月7日に開業した後も、列車の基本的なダイヤは変わっておらず、通勤輸送専用としての位置づけはそのままです。

駅名の由来

 和田岬という地名がいつから用いられるようになったかは未確認ですが、もともと兵庫港域を指す名称として「大和田泊」がありました。なお、自然地形としての和田岬は、湊川の三角州として形成されたものです。

歴史

 山陽鉄道に対して1890年7月8日に竜野(現在の竜野駅とは別)-有年および兵庫-和田崎町の運輸開業免許が下付されていますが、実際の開業日は未解明[2]とのことです。開業当初は貨物のみを扱う路線で、駅名は1895年度中に「和田岬」と改称し、さらに国有化後の1911年11月1日に旅客営業を開始しました(旅客は神戸および兵庫の両駅発着のみでしたが、1920年1月16日より制限撤廃)。

 その後、神戸市場や兵庫港といった貨物駅が整備されたことに伴い、1938年6月1日には和田岬駅の先に続く専用線で接続している三菱重工業および三菱倉庫に発着する貨物のみを扱うようになりました。戦後も基本的にこの形状が続きましたが、1980年9月末かぎりで貨物営業が廃止されています。

周辺の見どころ

和田岬砲台

 駅前、三菱重工業神戸造船所内。幕末に沿岸を防備するためつくられた砲台で、内部は木造2階建て。弾薬庫のほか冷却用の井戸などが置かれており、手探り状態だった当時の砲兵技術のさまがうかがえます。なお、同様の砲台は西宮(香櫨園浜)にも残っていますが、内部は火災で焼失し外壁のみとなっています。見学は要予約、平日のみ。


《乗り換え》神戸市-海岸線(徒歩2分)

2008年1月3日、写真を追加のうえ加筆修正

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