京阪電気鉄道

京阪電気鉄道は、大阪市中央区に本社を置く大手民鉄で、京阪本線を中心とした鉄道路線を運行しています。「京阪のる人、おけいはん。」のキャッチコピーが完全に定着しました。叡山電鉄および比叡山鉄道を子会社として持つほか、京福電気鉄道も傘下に入れています。

京阪本線に、支線である交野線、宇治線、鴨東線および鋼索線をまじえたグループと、京津線および石山坂本線から成るグループ(後者は「大津線」と称されます)があり、かつては大阪から大津方面への直通列車が運行されていたこともありましたが、現在ではこの両者は完全に別々の運行となっています。

日本初の電車による急行列車の運行、特急列車へのカラーテレビの搭載(テレビカー)、地下駅では日本最初となる冷房の導入、日本で最初に「スーパーマーケット」の名称を用いた店舗の開業など、多角営業には慎重である反面、革新的な取り組みが多い企業でもあります。「村上ファンド」による阪神電気鉄道に対するM&Aの際に統合先の候補とされましたが、実現しませんでした。なお、在阪大手私鉄の中で唯一、プロ野球球団を傘下に持ったことがない会社でもあります。

(2006年9月30日)

【URL】京阪電気鉄道公式Webサイト

★1994年3月1日、石山寺にて完乗(その後の開業区間も乗車済み)。2008年2月8日、松ノ馬場にて全駅乗降(その後の開業駅も乗降済み)。

大阪の淀屋橋と京都の三条を結ぶ、49.3kmから成る京阪のメインラインです。基本的に淀川の左岸を走っていますが、大阪側および京都側の双方とも、開通当時から市街化が進んでいたため、非常にカーブが多いのが特徴です。天満橋から寝屋川信号場(萱島と寝屋川市の中間)までの区間は複々線となっています。なお、両端部分(天満橋以西および東福寺以北)は地下化されており、また鴨東線(三条-出町柳)とは列車運行が一体化されています。

かつては京阪間を高速で連絡するという側面が強く、京阪特急は京橋-七条をノンストップで結び、その高い居住性で“私鉄王国・関西”を代表する列車でしたが、現在は速達性においてJRと完全に水をあけられたこともあって、中間の停車駅を増やすことによって中距離利用者の利便性を向上させるダイヤになっています。複々線区間では、内側線が快速線、外側線が緩行線となっています。

1910年4月15日に天満橋-五条を開業した当初は、大阪、京都の両側とも併用軌道で、しかも都心部にはターミナルを設けることができませんでした(1915年10月に三条まで延長、1931年10月に併用軌道部分解消)。その後は高速運転に力を入れ、1914年には日本で初となる電車による急行運転を開始しています。もっとも、カーブの多い京阪本線での高速化には限界があり、淀川右岸に設立した新京阪電鉄に高速化の役割を譲り、京阪本線は区間利用中心となりました。この状況が変わったのは、戦時中に京阪神急行電鉄に統合後、戦後に京阪本線が京阪電気鉄道として再分離、新京阪線が京阪神急行電鉄に残されたことから、阪急との京阪直通客争奪戦が再開、特急運転が行われました。戦後はしばらくこの状態が続きましたが、1963年4月には淀屋橋-天満橋が地下線として開業し、また1987年5月には東福寺-三条が地下化されました。

(2006年9月30日)

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乗車履歴

  • 淀屋橋-中書島 1986年2月16日
  • 中書島-伏見桃山 1986年11月24日
  • 伏見桃山-伏見稲荷 1986年2月16日
  • 伏見稲荷-三条 1986年11月24日

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  • 中之島-天満橋 2008年10月19日

三条から出町柳までの2.3kmを走る路線です。もっとも、列車の運行は三条以南の京阪本線と一体化されています。

路線名は鴨川の東側に沿って走ることから付けられたもので、全線が地下化されています。出町柳では叡山電鉄と接続していますが、京阪は地下、京福は地平であり、乗り換える際にはいったん改札を出る必要があります。沿線には京都大学や同志社大学を中心として大学が多いのが特徴です。

当初は「鴨川電気鉄道」という会社を設立して建設されましたが、1989年4月1日に京阪電気鉄道に合併、同年10月5日に路線の開通をみました。

(2006年9月30日)

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  • 三条-出町柳 (確認中)

京阪本線の枚方市駅から私市駅までを結ぶ、全長6.9kmの路線です。全線が複線化されています。列車はすべて各駅に停車しますが、大阪方面へ直通する優等列車も設定されています。

駅周辺は住宅地としての開発が進んでいますが、交野市は比較的緑が多く開発が緩やかなところもあり、週末の私市駅にはハイキング客の姿を多く見かけます。

信貴生駒電鉄によって1929年7月10日に全線が開通しました。その後、交野電気鉄道に分離(1939年5月1日)を経て1945年5月1日に京阪神急行電鉄(現、阪急)に合併、その後は京阪電気鉄道の再分離に伴い同鉄道の支線となりました。

(2006年9月30日)

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  • 枚方市-私市 1991年3月6日

京阪本線の中書島駅から宇治駅までを結ぶ、全長7.6kmの路線です。全線が複線化されています。列車はすべて線内を各駅に停車します。かつては京阪本線に乗り入れて三条方面へ直通する列車が運転されていましたが、現在は廃止されています。

桃山南口以東では全線がJR奈良線に平行しており、駅が近接して設けられている例もありますが、京都方面へのアクセスでは京阪とJRが競合関係にあるため、乗り換えなどのアナウンスは行われません。

(2006年9月30日)

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  • 中書島-宇治 1994年2月28日

御陵とびわ湖浜大津の間を結ぶ、全長7.5kmの路線です。御陵で、京都市営地下鉄東西線と接続しており、同線の京都市役所前駅まで乗り入れています。浜大津駅付近には、一部併用軌道区間があり、4両編成の大型電車が路上を走る姿が見られます(併用軌道区間には停留場はありません)。すべての列車が各駅に停車します。

京都市営地下鉄東西線の開業とともに京都市内の大部分が廃止され、本線系統とは孤立した区間となりました。これに伴い、京阪本線から大津方面へ向かう際の運賃が急上昇したため、京津間の乗客がJRへ大きく転移し、営業収支が悪化しています。このため、石山坂本線とともに子会社化して京阪本体から分離するという構想が出ていますが、2006年9月現在では具体化していません。

京津電気鉄道の手によって1912年8月15日に一部区間を開業し、1925年2月1日には京阪電気鉄道に合併、同年5月5日に浜大津までの全線が開通しました。1934年には、天満橋と浜大津を直結する特急「びわこ号」が運転されます(戦時中に廃止)。1987年5月24日には京阪線の地下化に伴い、同線と分断(三条駅と京津三条駅は同一駅扱いで乗り換え可能)されました。さらに1997年10月12日、京津三条-御陵が廃止されて併用軌道区間の大部分が消滅し、同日開通の京都市営地下鉄東西線への乗り入れと昇圧、大型電車の運転が開始されています。

(2006年9月30日)

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  • 京津三条-蹴上 1985年7月14日
  • 蹴上-浜大津 1991年3月6日

石山寺から坂本比叡山口までを結ぶ、全長14.1kmの路線で、びわ湖浜大津で京津線と接続しています。略して「石坂線」と呼ばれます。

叡山東麓を走る区間では急勾配が多く、大津市中心部付近では急カーブが多いなど、変化に富む路線です。京津線とともに分社化の動きがあります(詳細は京津線を参照)。

石山坂本線をめぐる歴史はすこぶる複雑ですが、前身となる大津電車軌道が1913年3月に大津(現、浜大津)-膳所(現、膳所本町)を開通させたのがはじまりです。同社は1927年1月21日に太湖汽船と合併して琵琶湖鉄道汽船となり、1929年4月11日には京阪に合併しました。これに先立ち、1927年9月10日に全線が開業しています。戦後は、浜大津-膳所で江若鉄道が乗り入れていましたが、1965年に廃止されています。

(2006年9月30日)

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  • 坂本-浜大津 1991年3月6日
  • 浜大津-石山寺 1994年3月1日

八幡市と男山山上を結ぶ、全長400m(水平長)、高低差82mのケーブルカーで、「男山ケーブル」と称されます。全線が単線で、路線の中ほどで行き違いが行われます。

男山索道によって1926年6月22日に開業し、男山鉄道に社名変更のうえ、1929年8月には京阪の傘下に入りました。戦時中は資材供出のため廃止されましたが、戦後1955年12月3日に、京阪電気鉄道の手によって復活し、現在にいたっています。

(2006年9月30日)

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  • 八幡市-男山山上 1994年2月28日

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