粟津晴嵐も今は昔

粟津

あわづ Awazu
粟津駅
▲粟津駅全景《2008年2月8日撮影》

 

粟津駅ホーム
【写真1】粟津駅ホーム。《2008年2月8日撮影》

相対式ホーム2面2線から成る地平駅です。駅舎は坂本方面行きホームの坂本方にあり、私が下車したときには係員がいましたが、時間帯によって無人になるのかもしれません。石山寺方面行きホームとの間は、構内踏切で連絡しています。

ホームは比較的ゆったりした幅広のもので、狭いホームが続く石山坂本線南区間各駅の中では、ゆとりがあります。

駅の周辺は住宅街で、琵琶湖側には団地が見えます。

木曾義仲終焉の地として知られる近江八景の一「粟津の晴嵐」には歩いて15分ほどですが、現在では工業地帯となっており、往事の景観は望めません。

乗り場

番線表示はありません。以下、東側から順に。

  • 石山坂本線 石山寺方面
  • 石山坂本線 びわ湖浜大津、坂本比叡山口方面

駅名の由来

確認中。大津皇子の遺児とされる粟津王の供養塔が京都府山科区にあり、その伝承との関連性をうかがわせる地名です。

歴史

詳細は確認中。

1913年5月1日
大津電車軌道によって、膳所(現・膳所本町)から路線が延長され、「別保」駅として開業しました。
1914年1月12日
別保から石山駅前(現・京阪石山)まで路線が延長され、中間駅となります。
不詳
「粟津」に改称[1]

周辺の見どころ

確認中。

  1. 改称時期については改称されたのは大津電車軌道時代のことと思われますが、その後の琵琶湖鉄道汽船への合併、京阪電車や京阪神急行電鉄としての合併や離合の過程を経て資料が失われてしまい、はっきりとした記録は残っていませんとのこと(京阪電気鉄道 大津鉄道事業部 「keihan-o2.com」 > o2stations > 粟津駅)。 ※2018年2月8日現在リンク切れ

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