複線となり、大和川を渡った南海線電車は、島式ホーム1面2線から成る七道駅に到着します。
駅の西口には駅前広場が整備されています。駅前広場の中央には、チベット探検家のパイオニアとして名高い河口慧海の銅像が建てられていましたが、その由来などがまったく説明されていなかったのは不可解(この地で1866年に生まれています)。
駅の周辺には、古くからの住宅や工場が多く建ち並んでいます。この一帯は、鉄砲鍛冶が多く集まり鉄砲生産が行われた一帯で、現在でも「鉄砲町」という地名が残っていますが、駅周辺に多いのは化学工場であり、鉄砲とはあまり縁がなさそうです。
駅名となっている「七道」とは不思議な響きがありますが、天平創建の浄得寺に七堂伽藍があったことに由来するといわれています。同駅西側の地域名「三宝」も由来は同じと思われ、歴史を感じさせる地名が残っています。
特記事項なし。
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2005年8月19日