築地橋を出た南海電車は、住宅と工場が混在する中を走っていきますが、道路と線路敷の間に柵がないところも多く、なんともおおらかです。建っている工場の規模が大きくなり、港湾からの積み出し用貨物などが目につくようになると、和歌山港線第三の中間駅、築港町です。
築港町駅のホーム屋根は比較的しっかりしたもので、和歌山港線中間3駅の中では、旅客がいちばん待ちやすい駅になっています。
このページは、駅廃止前の情報をもとに記載しています。
築地橋を出た南海電車は、住宅と工場が混在する中を走っていきますが、道路と線路敷の間に柵がないところも多く、なんともおおらかです。建っている工場の規模が大きくなり、港湾からの積み出し用貨物などが目につくようになると、和歌山港線第三の中間駅、築港町です。
築港町駅のホーム屋根は比較的しっかりしたもので、和歌山港線中間3駅の中では、旅客がいちばん待ちやすい駅になっています。
ところが、駅へのアプローチが存外たいへんです。駅の南西側には道路が通っており、線路を踏み切りで横切ります。この踏切はよく目立つのですが(目立たなければ危険なので当然ですね)、駅はさっぱりわかりません。和歌山港線中間三駅に共通するとおり、駅名を示す標識などが皆無であるだけでなく、この駅の場合は、ホームや屋根など、鉄道駅を示すものが、すぐ近くまでいかないと認識できないのです。具体的には、上の写真の踏切右側手前に藪がありますが、ここが駅の入口であるなど、まずわからないでしょう。その駅正面が、冒頭に掲示した写真のごとく、藪を踏み分けてできた通路(?)をかきわけていくのでは、電車に乗ろうという気にはならないでしょう。かつての水軒駅と似たような出入り口になっています。
周囲には民家が皆無というわけではなく、平行道路には路線バスがそこそこの本数にて運行されており、一定の需要はあるのですが、駅そのものが利用をためらわせる存在になっている観が否めません。利用客は、和歌山港線中間三駅の中でも最も少なく、2004年度の1日平均乗降人員は、わずか38人です。
確認中。
開業当初は「和歌山港」を名乗っていました。これは、駅北側(上の写真の突き当たり)にフェリーターミナルがあったためですが、これが南西に移転したために和歌山港駅も移動し、1971年3月6日に現駅名に改称しています。