本線と網干線の2線から成る、兵庫県南部を東西に走る鉄道路線を運営する企業で、本社は神戸市(最寄り駅は西代)にあります。垂水区を中心とした路線バス事業を展開しているほか、関連企業で不動産事業や百貨店事業(山陽百貨店)などを展開しています。かつては、阪急電鉄と阪神電気鉄道が同数の株式を保有していましたが、阪神直通特急運転開始の際に阪急が阪神に株式を譲渡し、現在は阪神電気鉄道が筆頭株主となっています。
播磨地域に長い路線を擁する準大手私鉄で、神戸と明石および姫路を結び、国鉄→JRの山陽本線と激しい競合を行ってきました。古くから特急電車を頻繁に運行し、現在は阪神梅田と山陽姫路を直結する「直通特急」を走らせていますが、高頻度・高速運転を行うJRに対して苦戦しています。競合の弱い路線西部ではモータリゼーションの影響も深刻で、沿線工業地域の地盤沈下もあり、乗客は減少傾向にあります。このため、直通特急停車駅以外のほぼ全駅を巡回駅化(定期的に職員が巡回するのみで実質的には無人化)するなどの合理化策が取られています。
兵庫から明石まで、兵庫電気軌道によって軌道線が敷設されたのがはじまりです。その後、関連企業である神戸姫路電気鉄道によって、明石から姫路までの区間が高速鉄道として開業しました。この両社を、親会社である宇治川電気が統合しています。その後、鉄道部門が分離独立し、現在の山陽電気鉄道が成立しました。「山陽」という気宇壮大な社名になったのは、網干線を岡山まで延長させる構想があったためですが、実際には果たされることはありませんでした。
現在の鉄道線は、いずれも軌間1,435mm、直流1,500Vとなっています。なお、神戸高速鉄道東西線(西代-阪急三宮および阪神元町)の第二種鉄道事業者ともなっていますが、神戸高速鉄道は独自の営業を行っているため、ここでは取り上げません。
(2005年6月17日)
【URL】 http://www.sanyo-railway.co.jp/
★1989年8月7日、山陽姫路にて完乗。2005年3月12日、西新町にて全駅乗降。全駅の写真を掲載しています。
西代から、須磨、明石、飾磨を経て山陽姫路にいたる54.7kmの路線で、全線が複線化されています。阪神梅田から山陽姫路を結ぶ直通特急が走るほか、朝と夜にはS特急や特急という停車駅の多い列車種別があります。
阪神梅田への直通特急を盛んにPRしており「シーサイドエクスプレス」と銘打っていますが、実際に海が見える区間は須磨から垂水にかけての区間のみです。
沿線の東半分は、人口密度が高く観光資源も豊富ですが、JR山陽本線が完全に平行しており、所要時間、列車本数、運賃のいずれの面でも勝負になっておらず、苦戦しています。この部分は急カーブが多く線形が悪いところが多いのですが、これは白砂青松の景勝地を避けて路線が敷設されたためともいわれています。
いっぽう沿線の西半分はJR山陽本線と離れており、高砂や飾磨など中規模都市を貫いているため、一定の乗客を確保しています。しかし、沿線は戦前の軍需産業をベースとした重工業主体の工業地帯であり、産業構造の変化に伴い労働人口は減少傾向です。
1910年3月15日、兵庫電気軌道により兵庫-須磨(現・山陽須磨)が開業したのが始まりで、1912年7月10日に一ノ谷(現在は廃止)、1913年5月11日には塩屋へ延長され、1917年4月12日に明石(現在の山陽明石より南側に位置)までが開通しました。また、1923年8月19日には、神戸姫路電気鉄道によって、明石駅前(現・山陽明石)-姫路駅前(現・山陽姫路)の全線が一気に開通しています。しばらく両社が並立していましたが、1927年4月1日に親会社にあたる宇治川電気に合併し、1928年8月26日に明石駅を統合して、兵庫から姫路駅前までの直通運転を実現しました。
戦後になってもこの状態が続きましたが、1968年4月7日に神戸高速鉄道が開通すると、阪急六甲および阪神大石まで相互直通運転を行い、併用軌道区間だった兵庫-西代は前日かぎりで廃止されています。また1991年には、それまで「電鉄」を冠していた12の駅名を一斉に変更し、「山陽」をアピールするようになりました。1995年1月の阪神・淡路大震災以降、JR山陽本線との競合が激しくなったことを受けて、1998年2月15日に阪神梅田と山陽姫路を結ぶ直通特急の運転を開始し、同時に阪急電鉄との相互直通運転を中止しています。
(2005年6月17日)
西代-板宿-東須磨-月見山-須磨寺-山陽須磨-須磨浦公園-山陽塩屋-滝の茶屋-東垂水-山陽垂水-霞ヶ丘-舞子公園-西舞子-大蔵谷-人丸前-山陽明石-西新町-林崎松江海岸-藤江-中八木-江井ヶ島-西江井ヶ島-山陽魚住-東二見-西二見-播磨町-別府-浜の宮-尾上の松-高砂-荒井-伊保-山陽曽根-大塩-的形-八家-白浜の宮-妻鹿-飾磨-亀山-手柄-山陽姫路
飾磨から網干にいたる8.5kmの路線で、全線が単線です。以前は山陽姫路への直通運転が中心でしたが、現在は線内運転のみとなっています。
新日本製鐵の広畑製鉄所をはじめとする、軍需産業の労働力輸送の目的で建設されたという経緯もあり、戦後の高度成長を支えた重化学工業地域が沿線に広がっています。しかし、産業構造の変化に伴う鉄鋼産業の縮小によるリストラを受けて輸送需要は激減しています。
1940年10月15日に、電鉄飾磨(現・飾磨)-夢前川が開業したのが最初で、同年12月23日に広畑日鉄前(現・広畑)、1941年4月27日に電鉄天満(現・天満)と延長され、1941年7月26日に電鉄網干(現・山陽網干)までの全線が開通しました。1995年6月から、全列車がワンマン運転となりました。
(2005年6月17日)
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