新村は、構内に車庫を有する、上高地線の拠点駅です。“しもにい”“きたにい”に続いて、やっと本家が登場、といった感があります。それとともに、これまで松本盆地の平野部を走ってきた電車が、新島々へ向けて上り勾配に入る境界駅でもあります。
営業上は、毎日昼間時間帯に窓口が営業を行う時間有人駅で、有人時間帯には集改札は駅員が行いますが、ワンマン電車のドア開閉は無人駅に準じます。
ホーム上にはなぜか松が1本ひょろりと生えており、妙な存在感を出しています。
新村は、構内に車庫を有する、上高地線の拠点駅です。“しもにい”“きたにい”に続いて、やっと本家が登場、といった感があります。それとともに、これまで松本盆地の平野部を走ってきた電車が、新島々へ向けて上り勾配に入る境界駅でもあります。
営業上は、毎日昼間時間帯に窓口が営業を行う時間有人駅で、有人時間帯には集改札は駅員が行いますが、ワンマン電車のドア開閉は無人駅に準じます。
ホーム上にはなぜか松が1本ひょろりと生えており、妙な存在感を出しています。
車庫には5本の線路が分岐しており、通常運転している電車のほか、かつての塗色に再変更された旧東急5000系(通称「青ガエル」)や小ぶりな電気機関車も留置されていました。車両の清掃はおばさんがぞうきんがけで行っており、一般的な車両基地ではなかなかお目にかかれない光景が見られます。
なお【写真2】で停まっている2編成の電車の奥では、有蓋貨車をそのまま倉庫として利用しています。このあたりの区画は道路との境界が曖昧で、立入禁止の表示も特にないため、係員に一言断ればかなり奥まで入れます(当該敷地内で撮影した写真は公開しません)。
車庫に隣接して、長屋状の細長い木造の建物があります。鉄道作業員の詰所ないし事務所として利用されている建物ですが、かつてはここがいっぱいになるほどの人員を必要としていたのでしょう。
このように広い敷地をかまえる新村駅ですが、現在の営業線としては、島式ホーム1面2線が使われるのみとなっています。かつては南側にもホームがありましたが、すでに線路は撤去されてレール置き場と化し、旧ホームも一部が取り崩されています。
駅本屋との間は、板の渡された構内踏切で連絡していますが、ここも踏切に遮断機はなく、この構内踏切を通る下り列車を降りた乗客は、列車が通過するまで待つことになります。
駅舎は木造平屋建のコンパクトなもので、変形寄棟の屋根を構えています。中に入ると、壁面に据え付けの木のベンチが延びており、かつては小荷物を扱っていたと思われる窓口跡、そして現在も機能しているきっぷ売り場窓口と、木造駅舎ならではの“装置”がそのまま残っています。松本電鉄グッズを販売する“ガチャガチャ”の販売機が置かれていますが、自動券売機はなく、ここで購入するきっぷは基本的に硬券となります。
新村駅は、旧筑摩鉄道が開業した1921年10月に開設されていますが、開業以来駅舎改築の記録はないそうで、駅舎の外観などを見ても大正時代の建造物とみてよさそうです。駅を正面から見るときれいな左右対称になっており、駅の前を通る道路からすこし角度が設けられていることも相まって、スマートな印象を与えます。
駅舎の外壁は、この種の駅舎では珍しく下見板張りではなく、鎧下見張りになっています。駅の規模としてはいささか大仰な感じのある玄関もなかなか立派なもの。また、ところどころ紅殻色の塗装が見られ、かつては白と赤のコントラストがみごとだったのでしょう。今では塗装の大半が剥落しており、渋さを通り越して枯れた印象が強くなっています。
玄関の脇には、旧筑摩鉄道の社章を配し、その両脇に稲妻を添えることで、この駅が電気鉄道の駅であることをアピールしています。よく見ると、稲妻の外側は横張り、内側は縦張りとなっており、細工が施されていることがうかがえます。また、この社章は屋根の瓦にも見られます。
こういった趣ある駅舎の残る新村駅ですが、この駅舎も改築が予定されており[1]、2011年12月時点で現駅舎の脇で新駅舎の工事が進められていました。旧駅舎はこのまま解体される模様で、信州における鉄道のシンボルがひとつ消えてしまうことになるのは残念。老朽化が進んでいるのは確かで、このまま維持するのが難しいこともわかりますが、駅待合室部分、あるいはせめて車寄せ部分だけでも、何らかの形で活用できないかと思うところ。現実的には、社章のマーク部分のみの保存ということになりそうではありますが。
駅前には商店が立地しているほかマンションも見られるなど、駅周辺の人口が比較的多くなっています。
南側(駅本屋側)から順に、1番線、2番線となります。
確認中。
筑摩鉄道として開業した当初からの駅です。
確認中。