3方向にレールが延びるジャンクション

直江津

なおえつ Naoetsu
直江津駅
▲直江津駅駅舎《2005年10月23日撮影》

えちごトキめき鉄道との共同使用駅です(管理:えちごトキめき鉄道)。駅の詳細については、 甲信越地方 > えちごトキめき鉄道 > 妙高はねうまライン > 直江津駅 をご覧ください。

このページは、JR東日本時代に乗降した際の情報を基に記載しています。

 

直江津駅旧駅舎
【写真1】地上駅舎時代には、山小屋のような三角屋根がトレードマークの、質実剛健といった印象を与える木訥なものでした。《1994年9月4日撮影》

新潟県西部地域の交通の要衝です。東へは柏崎、長岡を経て新潟へ、南へは長野へ、西へは富山へ通じるジャンクションにあたるほか、北越急行の大半の列車もこの直江津へ乗り入れてくるため、上越新幹線接続列車と各方面との乗換駅ともなっています。このため、駅勢人口に比し、長距離列車の利用客が高いように思われます。

ホームは地上にあり、島式2面4線と、北側にある片面ホーム2面2線(うち1面1線は、北陸本線米原方切り欠け式)となっています。駅舎は橋上に設けられていますが、乗り換え客に比べて跨線橋や改札の規模が小さいという印象があります。現在の駅舎は客船をイメージしたとのことで、北口付近の照明灯は帆柱のようなデザインになっています。

最初に下車したときは、山小屋のような旧駅舎が駅の北側にどんと居座っており、スキーで名高い後背地をいただく駅であることを示していましたが、その面影はまったくありません。

 

直江津駅改札

【写真2】駅の規模は大きいものの、改札はごく小さく、ラッチ1つの有人改札のみとなっています。《2005年10月23日撮影》

改札を出てすぐのところに、コンビニ形式の売店と待合室があります。改札を正面に進むと自由通路となり、かつて地上駅舎があり市街地になっている北口と、住宅地になっている南口へ出ることができます。

 

直江津駅自由通路
【写真3】橋上駅舎化に伴って南北自由通路が設けられましたが、構内が広いために通路もかなりの長さになっています。丸窓が特徴。《2005年10月23日撮影》

直江津は、西越後における海上交通の要港で、米の搬出で栄えた町です。かつては、駅の中に現地米の自動販売機が設置されており、さすが米どころだと頷いたものです。駅の北口近くには、昔ながらの商家が軒を連ねる光景が残っています。

停車列車 [2015年3月現在]

確認中。

乗り場

確認中。

駅名の由来

確認中。

歴史

1886年8月、関山-直江津が開通した際に設けられたのが始まりです。その後、1888年5月1日には長野、1893年4月1日には高崎まで延長開業し、関東地方と信越地方を結ぶ大動脈の拠点駅としての地位を築きました。

1899年に現在地へ移転、1940年に山小屋風の駅舎に建て替えられました。さらに2000年3月7日、橋上駅舎化されて現在の駅になっています。

1886年8月15日
官設鉄道(内閣鉄道局)関山-直江津間開業に伴い、直江津駅開業。
1899年9月5日
北越鉄道・春日新田(現在は廃止)-直江津間が開業、官鉄直江津駅に乗り入れ。本稿ではこの日を開業日としています。
1907年8月1日
北越鉄道が国有化され、官設鉄道(逓信省帝国鉄道庁)単独駅となります。
1985年3月4日
この日かぎりで貨物営業廃止。
1987年3月31日
貨物営業再開。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本(信越本線)、JR西日本(北陸本線)およびJR貨物の駅となります。
2000年4月7日
橋上駅舎供用開始。
2006年3月31日
この日かぎりでJR貨物直江津駅廃止[1]
2015年3月14日
北陸新幹線の開業に伴い、信越本線直江津以南がえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインに移管。

周辺の見どころ

確認中。

  1. JR貨物プレスリリース「貨物駅の廃止及び呼称の統一について」[PDF](2006年3月16日)。

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