中野市の玄関口にあたる駅で、須坂と並ぶ長野線の拠点駅です。
ホームは地平に設けられており、これの北東側に橋上駅舎があります。改札は2階にありますが、似た構造の須坂に比べるとコンコースがコンパクトになっており、駅ビルとして使われている部分が大きくなっています。また駅舎そのものも比較的新しいようで、改札口周辺の設備も概してスマートになっています。もっとも、駅員の絶対数がさほど多くないのか、やや煤けた印象があるのも否めません。駅の反対側に出るには、改札脇から通じている自由通路を通ります。
ホームは3面4線から成りますが、駅舎の反対側にある1面1線は、木島への路線が廃止された現在は基本的に使われておらず、島式2面4線から成ります。駅舎と同様にこちらも比較的新しく整備されたようで、舗装もきれいです。
信州中野から先の区間は山岳路線となります。これに伴って運転系統が大きく異なっており、普通列車は基本的にこの信州中野で折り返しとなり、信州中野から先の区間では列車内で運賃を収受する路線バスタイプのワンマン列車となります。またB特急はここから湯田中まで各駅に停車するようになり、また信州中野以北のみを利用する場合は特急料金が不要となります。
駅は中野市中心部からやや西に離れたところにあり、駅ビルにはそれなりにテナントが入っているものの駅直近に空きビルや空き地があるなど、あまり景気がよいようには見えませんでした。
中野は江戸時代は天領、明治にはいると一時期県庁が置かれましたが、中野一揆の影響などもあり県庁は長野へ移っています。戦後は北信州の中核都市として発展しましたが、市街地中心部の空洞化が急速に進行しています。
停車列車 [2011年2月13日現在]
すべての列車が停車します。
乗り場
確認中。
駅名の由来
「中野」の地名については、かつて市街地の中を川が流れていたことから、その川がつくった平地にできた町という意と推測されます(未確認)。「信濃」ではなく「信州」を冠した駅は他社駅も含めてほかに例がありませんが、「しなのなかの」としなかったのは、単に語呂が悪いからという説、「なかの」の「な」にアクセントがくると長野と混同するためという説などがあり、確証はつかめていません。
歴史
河東鉄道が須坂から信州中野まで路線を延長した際に設置された駅です。1925年7月12日には木島、長野電鉄になった後の1927年4月28日には湯田中までの区間が開業しました。その後は長らく湯田中、木島両方面への分岐駅となっていましたが、2002年3月31日かぎりで信州中野-木島が廃止となり、現在では運転系統上の区切りとなる中間駅という存在になっています。
- 【1923年3月26日】 河東鉄道の須坂-信州中野間が開通し、信州中野駅開業。
- 【1925年7月12日】 信州中野-木島間が開通し、中間駅となります。
- 【1927年4月28日】 信州中野-湯田中間が開通し、分岐駅となります。
- 【2002年3月31日】 この日かぎりで信州中野-木島間が廃止。
周辺の見どころ
陣屋県庁記念館【未訪】
駅から東へ、徒歩10分。コメント準備中。