谷街道の宿場町として栄えた川田地区の玄関駅で、非常に立派な駅舎を構えています。
木造平屋建ての駅舎は、屋根がトタンに葺き替えられ事務室の屋根にアルミサッシが用いられているほかは、古典的な木造駅舎の造作そのままです。壁面に残る古い広告などは、駅舎ごと時間が凍結されているような雰囲気を醸し出していました。平屋建てながら天井が高く、玄関周りには大きな庇が設けられています。
駅舎の待合室内には椅子が設置されています。手荷物扱い所や出札窓口には板が打ち付けられ、掲示板と化しているのは他の無人駅と同様です。壁面の漆喰はところどころ剥落しており、痛みがみられます。
ホームは相対式2面2線から成ります。駅本屋と反対側の屋代方面行きホームとの間は構内踏切で連絡しており、こちらのホームにも待合室がありますが、これはプレハブの新しいものでした。いっぽう駅舎の脇には小庭園がありますが、かつて魚が泳いでいたと思われる池は単なる水たまりと化していました。
駅構内は広く、もともと貨物を取り扱っていた側線が須坂方に残るほか、駅前から重機が入りやすいこともあって廃車体の解体作業もこの駅で行われ、それに使うと思われる鉄材がかつての貨物ホームの上に設置されています。
駅前にはロータリーが整備され、そこからまっすぐ駅前通りが延びており、地方の主要駅らしいつくりになっています。その一方、駅前通り沿いには営業している店舗は多くなく、ひっそりと静まりかえっていました。これといった商業施設があるわけでもなく、また駅前から発着する路線バスの便もごく少ないため、駅はもはや集落の拠点となり得ていないさまがうかがえました。
乗り場
確認中。
駅名の由来
確認中。
歴史
河東鉄道が最初に屋代-須坂を開通させた際に設置された駅です。開業当初は「町川田」と称しましたが、開業翌年の1923年3月12日に現在の「信濃川田」に改称しています。
- 【1922年6月10日】 河東鉄道の屋代-須坂間が開通し、開業。当時の駅名は「町川田」でした。
- 【1923年3月12日】 駅名を「信濃川田」に改称。
周辺の見どころ
西沢家住宅【未訪】
駅から南西へ、徒歩5分。谷街道に設けられた川田宿の本陣兼問屋で、長野市指定重要文化財。