広い構内に側線が広がり作業用車が留置されている地平駅で、信濃川田と同様、立派な木造駅舎が現在も待合室として利用されています。
駅舎の造作は信濃川田とまさに瓜二つで、壁面の漆喰、玄関周りの大きな庇などの特徴が一致しているほか、事務所部分の窓ガラスの枚数まで一致しています。おそらく、同時期に建造されたものでしょう。ただし、無人化前後の改修については、この綿内のほうが原型をよりよくとどめているようで、改札口にはラッチが残っているほか、ラッチ内には木の据え付けベンチがそのまま置かれています。
ホームは相対式2面2線を基本としており、駅本屋側(西側)が須坂方面、それと反対側(東側)が屋代方面となっています。かつては屋代方面行きのホームは島式ホームだったように思われますが、現在は単式ホームとなっています。屋代方面行きホームにはプレハブの待合室が設置されています。
両ホームは構内踏切で連絡していますが、この構内踏切からは、駅の東側へ直接出ることができます。これは、無人駅でよく見られる「人が無断で通るルートが暗黙のうちに通路と化した」というものではなく、駅の東側から直接駅に入れるように整備されたものです。実際、駅の東側には住宅団地が造成され、一戸建ての住宅が数多く建っていることから、この“東口”の整備は利用者の利便性を大きく高めたと思われます。
もっとも、実際にホームに立って列車を待っていると、この“東口”から入ってくる人は多いものの、その大半は構内踏切から駅舎を通り、そのまま駅の外に出ていきました。どうやら、駅の出入口というより、構内踏切を通路として利用しているようです。駅本屋の目の前に大きなスーパーがあることから、買い物客が多く“利用”しているようです。
駅本屋からは正面に道路が延びており、その脇にスーパーと駐車場があります。信濃川田とは異なりそれなりに商店が営業しているように見受けられました。
綿内は、犀川と千曲川が合流する地点の右岸に開けた集落です。
乗り場
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駅名の由来
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歴史
河東鉄道が最初に屋代-須坂を開通させた際に設置された駅です。
- 【1922年6月10日】 河東鉄道の屋代-須坂間が開通し、開業。
周辺の見どころ
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