赤駅
▲赤駅駅舎《2008年11月2日撮影》

赤駅を東側から望む

【写真1】赤駅を東側から望む。足もとの道路は線路に沿って曲がり、踏切をわたってホームへつながっています。《2008年11月2日撮影》

窪地に設けられた、1面1線の棒線駅です。赤村役場の最寄り駅として設けられた新しい駅です。

駅の西側には村役場をはじめとした公共施設が建ち並んでいます。いっぽう東側の丘陵上側には畑が広がっています。この東側からおりてきた道路は、線路脇で歩行者専用の細い道となり、駅北側の踏切をとおりホームに直結しています。

 

赤駅エントランス

【写真2】赤駅エントランス。ホームはひとつ上の写真を見ればわかるとおり、シンプルなものです。《2008年11月2日撮影》

ホームに面して建っている建物――“駅舎”と呼べるかどうか微妙ですが――には「赤村高齢者能力開発センタ」などの表札が掛かっており、赤村の施設が駅に隣接している格好になっています。改札口や出札窓口は設けられておらず、完全な無人駅仕様となっています。

駅を出て正面にはトロッコのレールが横を通っており、小さな客車がその脇に停まっていました。イベントがある場合などにこのトロッコ列車が動くのでしょうが、私がこの駅に着いたときには、列車はおろか人の気配もなく、また運行スケジュールを書いた掲示物も見あたらず、何の情報も得られなかったのが返す返すも残念。

国鉄時代、この赤駅付近から分岐する「油須原線」が建設されていました。これは、油須原から添田線大任(現在は路線廃止)、日田彦山線豊前川崎、上山田線上山田(現在は路線廃止)を経て漆生線漆生(現在は路線廃止)へいたる路線として計画されたもので、このうち豊前川崎-上山田-漆生は開通したものの1986年から1988年にかけて廃止、残る区間も路盤のかなりの部分が完成したところで工事中断となり、結局いちども列車が走ることないまま埋もれていきました。

 

駅名の由来

赤村の玄関駅という位置づけのために付けられた駅名です。「赤」の由来については吾勝野(あがつの)と呼んでいましたが、阿柯(あか)と津野と称するようになり、その後、清和天皇の「光明赫々・・・(こうみょうかくかく)」という言葉から赤の字を用いた[1]という説があります。ともあれ『日本書紀』にはこの地に「我鹿屯倉」が置かれていることを考えると、古代以来続いている地名であることはまちがいありません。

歴史

2003年3月に設けられた新しい駅で、2010年6月現在、平成筑豊鉄道の伊田・糸田・田川三線でで最も新しい駅です。

周辺の見どころ

確認中。


  1. 赤村公式Webサイト「赤村について」より(2010年6月26日確認)。

2008年11月19日

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