今川に沿ってさかのぼっていくと、しだいにゆるやかな平地に入り、赤村の中心集落を形成している油須原に到着します。中心集落といってもさほど大きいものではありませんが、かつては赤村唯一の駅ということもあり、玄関口としての機能を果たしていました(平成筑豊鉄道転換後、内田、源じいの森、赤の各駅が順次開業)。
今川に沿ってさかのぼっていくと、しだいにゆるやかな平地に入り、赤村の中心集落を形成している油須原に到着します。中心集落といってもさほど大きいものではありませんが、かつては赤村唯一の駅ということもあり、玄関口としての機能を果たしていました(平成筑豊鉄道転換後、内田、源じいの森、赤の各駅が順次開業)。
油須原周辺では石炭の産出はありませんでしたが、かつては勾配に備えての蒸気機関車入れ替え作業などが行われたこともあって構内は広く、中線や側線の跡が広がっています。現在では長大ホームの中ほどに設けられている構内踏切を挟み、単行のディーゼルカーが頭をそろえるようにして停車しますが、やはり軽快な小型列車では、この巨大な駅には役不足に見えます。
ホーム自体はさほど広いものではなく、列車運行上の拠点という位置づけになっていたことがうかがえます。上り(行橋方面行き)ホームには小屋根の付いた待合スペースがあります。
下り(田川伊田方面行き)ホームの田川伊田方には切り欠け式の側線跡が残り、その先には大きな農業倉庫がありました。油須原は古くからの農村地帯で、この駅が農作物の搬出拠点だったことがうかがえます。伊田線の各駅などとは雰囲気がかなり異なります。
油須原には、筑豊地域でも数少なくなった、開業当時の姿をそれなりに残していると思われる古い駅舎が健在です。この木造駅舎は豊州鉄道が開通した際に駅を置いた当時から改築の記録が確認できておらず、もしこれが事実であれば九州内では最古の現存駅舎となります[1](なお、JR肥薩線の大隅横川、嘉例川両駅は1903年1月開業です)。
油須原周辺は冬になるとそれなりの雪が降りますが、上屋を支える支柱はあまり太くない一方で、窓が小さめになっています。下見板張りの壁面はそのままですが、窓枠はアルミサッシになり、ラッチも金属棒になっているなど、かなり改修されています。
駅事務室内には陶芸工房が入り、有人駅だった時代とは様変わりしています。私が下車したときは工房内は閉鎖されていたため、中の様子をうかがうことはできませんでした。待合室内はガランとしていて非常に寂しいのですが、清掃は行き届いていました。
駅舎の外に出てみると、待合室脇に木のラッチがあり、列車到着時の下車用出口が残っています。このような出札窓口前とは異なるラッチはかつての木造駅舎にしばしば見られましたが、観光需要など旅客の波動が大きい駅を除き、現在ではほとんど姿を消しているだけに、貴重です(このほか、上田電鉄中塩田駅などでも確認)。また、駅舎の土台になっているレンガ積が露出しており、これまた貴重なものです。
駅前には小商店のほか民家が並び、ちょっとした集落になっています。駅舎正面は小広場になっており、最近マスメディアなどで紹介でもされたのか、油須原駅の写真を撮りに車を停める人がけっこういるようで、私が油須原駅から赤駅まで歩いていたときには「油須原駅ってどちらですか」と自家用車を運転する若い女性から訊かれました。また、駅の脇には駐在所があり、駅が荒れていないことはこれも理由のひとつかもしれません。
もともと炭鉱がなく純然たる農村として続いてきた赤村だけに、鉄道施設以外では特に荒廃感などもなく、むしろ落ち着いたいい感じを残す日本の原風景をとどめているような印象を与えます。
番線表示は未確認です。
確認中。
明治時代に路線が開通して以来の駅です。
確認中。
確認中。