田園地帯に開業当初からの木造駅舎が残る

大鶴

おおつる Otsuru
大鶴駅
▲大鶴駅駅舎《2008年11月3日撮影》

2017年7月5日に発生した水害のため、日田彦山線は添田-夜明間で運休となっています。(2017年7月9日現在)

 

大鶴駅玄関
【写真1】大鶴駅玄関。木の引き戸がまず暖かく出迎えてくれます。《2008年11月3日撮影》

宝珠山からは勾配もゆるやかになり、しだいに平地が広がっていきます。両脇の山が少し遠ざかり周辺に水田が広がるようになると、大鶴に到着します。

おそらく開業当初からのものと思われる木造駅舎が建材で、現在でも新建材などは使われておらず、ラッチや玄関の引き戸なども木製そのままです。レトロ調の雰囲気を活かすためにあえて木製のままとしたわけではなく、あらためて補修を行う必要がないためにそのまま残されているというのは珍しく、特に出札窓口が木枠のままというのは非常に珍しいものです。食券仕様の自動券売機が不づり合いで、この部分だけ木の台がカットされているのが残念です。

 

大鶴駅改札内
【写真2】大鶴駅改札内。狭い待合室内にはかつての規格どおりといった感じの設備がそろっています。自動券売機だけが無粋。《2008年11月3日撮影》

待合室内の清掃も行き届いており、居心地のよい空間になっています。外壁は下側が下見板貼り、屋根の下側は土壁となっています。窓ガラスも1枚ずつのはめ込みですが、木枠に傾きが見られるため、すべてを整えるのはたいへんでしょう。

本当に「昔ながらの駅」がきれいなまま現役となっているわけで、事前情報なしにこの駅へ足を運んで、驚くとともに、これだけの駅を見過ごしていたのか、とも思ったものです。

単式ホームのみの棒線駅ですが、かつては木材の搬出が盛んだったと思われ、構内は広かったものと思われます。

 

大鶴駅ホームへのアプローチ
【写真3】大鶴駅ホームへのアプローチ。通路の形状からみて、屈曲した部分に構内踏切があったものと思われます。《2008年11月3日撮影》

駅舎とホームの間は少し間が開いていますが、庭園の跡などが見られることから、側線は駅本屋前には延びておらず、その脇に貨物スペースがあったのではと推測されます。現在、ホームへのアプローチにはプランターが置かれています。点字ブロックが妙に浮いています。

 

改札口への通路
【写真4】改札口への通路。清掃が行き届いています。奥に見えるのは古めかしいトイレ。《2008年11月3日撮影》

ぜひともこのまま残しておいてほしい駅舎ですが、屋根がやや傾いており壁にも傷みがみられるのが気がかりです。内部がよくわからないので今から補修して間に合うかどうか微妙ですが、早急にメンテナンスし、ローカル線の駅が集落の玄関であった時代の証左を示してほしいものです。

 

ホームから駅舎を望む
【写真5】ホームから駅舎を望む。壁面や屋根を見ると、老朽化は否めません。《2008年11月3日撮影》

片面ホーム上には小屋根があるのみですが、ここには地元の人がつくった俳句が掲示されていました。雨上がりということもあって虫が非常に多く難儀しましたが、その点を除けば、ゆったりと安らげる駅です。

 

ホームより夜明方を望む
【写真6】ホームより夜明方を望む。製材所が隣接しています。《2008年11月3日撮影》

駅は国道から少し奥に入ったところで、すぐ近くにAコープがあります。

駅名の由来

オオ(大)・ツル(水流)。大川の意で、駅近くを流す大肥川をさす[1]という説があります。

歴史

詳細は確認中。

1937年8月22日
夜明-宝珠山間の彦山線が開業し、宝珠山駅開業。
1960年4月1日
路線名改称に伴い、日田彦山線の駅となります。
1962年9月30日
この日かぎりで貨物営業廃止。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR九州の駅となります。
2017年7月5日
この日発生した水害により、日田彦山線の添田-夜明間が運休。

周辺の見どころ

確認中。

  1. 村石利夫『JR・第三セクター 全駅名ルーツ事典』2004年、東京堂出版、286ページ。

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