志井公園を過ぎると、しだいに丘陵地帯へ入っていきます。沿線の風景も、山林と農家が目に付くようになり、住居がばらけてくると、ほどなく志井に到着します。
地平ホーム相対式2面2線から成り、それぞれのレールから安全側線が延びています。2つのホームの間は跨線橋で連絡しています。かつては構内の踏切から、D51が牽引する石灰石列車どうしの行き違いがよく見られたといい[1]、構内踏切はすでになく石灰石列車も廃止されていますが、跨線橋からの眺望はよく、私が下車したときには地元の子どもの遊び場と化していました。
駅舎は下りホーム夜明方にあります。鉄骨平屋建ての簡素なもので、1970年代のものでしょうか。駅務室はかなり長い間使われないままのようで、かなり荒れており、待合室としても使用されてはおらず、かつて駅員がいたことを示すオブジェ以上の意味がなくなっているようです。片流れ屋根ですが、ホーム上にも上屋がせり出しており、バタフライ屋根のような形状になっています。
駅前からは一本道が延びますが、ローカル線の駅によく見られる「駅前広場が終点で、線路と垂直に道路がまっすぐ延びる」というわけではなく、集落内の細い道路が駅で行き止まりになっているだけです。駅の周辺には民家がそこそこ建っているものの、駅前商店さえなく、集落の玄関口たりえていません。北九州市内では、もっとも寂しい駅ではないでしょうか。
なお、北九州モノレールの志井駅とは大きく離れており(約2.6km)、徒歩連絡はほぼ無理です。ひとつ隣のJR志井公園から、モノレール企救丘へというのが乗り換えルートになります。
快速は停車しません。
番線表示は確認できませんでした。
〝多賀神社の氏神様へお供えする新米を、四つの井戸の清水をくんで洗い清めた〟というところから、志井(四つの井戸)という地名がついた[2]という説があります。
特になし。
2008年11月25日
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