一本松の先で平成筑豊鉄道田川線が寄り添うようになります。彦山川を渡ると田川伊田駅の構内になり、それまで併走してきた平成筑豊鉄道の線路が平面交差して北側に移り、日田彦山線は南側に入って、ホームに到着します。
古くは石炭、近くは石灰岩の産出で栄えた田川市の玄関口の駅で、ひとつ隣の田川後藤寺と並ぶ主要駅となっています。
日田彦山線としては島式ホーム1面2線で、このほかに側線がいくつか設けられていますが、留置車両の姿はあまりなく、運転上の拠点は後藤寺になっています。風格のあるホーム屋根の下には、駅からほど近い八幡宮を意識した灯籠がオブジェとして建っています。また、ホームの夜明方には比較的大ぶりな待合室があり、この駅のかつての利用者数をうかがうことができます。
改札からまっすぐ延びる地下道は基本的に昔のとおりですが、地下通路から平成筑豊鉄道のホームを結ぶ通路は塞がれており、改札口も別々になっています。改札口のすぐ脇に「みどりの窓口」があり、列車運行時間帯は終日営業しています。なお、田川伊田駅自体は築堤上にあるため、地下通路を出た先は地平になっています。
かつては、木造のユニークな駅舎が出迎えてくれましたが、1990年に改築され、JR九州初の直営駅ビル「Mu(ミュー)」が完成、さまざまなテナントが入っています。
駅前はちょっとした商店街になっており、左手には古くからのアーケード街が形成されていますが、飲食店などはさほど多くありません。夕方になるとシャッターを下ろす店舗が多く、歩道の整備されていない道路のみが通じている状態でもあってあまり活気はありませんが、それでも後藤寺よりは人の動きがあるように感じられました。
朝の上りに1本設定されている快速が停車します。
1番線と2番線は平成筑豊鉄道の乗り場に割り当てられています。
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豊州鉄道によって、行橋から伊田までが開通したのが1895年8月15日で、この区間は現在の平成筑豊鉄道田川線に相当します。この鉄道線が後藤寺(現・田川後藤寺)まで延長されたのが1896年2月のことで、日田彦山線の駅としてはこの日が開業日といえます。なお、田川線および伊田線の歴史については、平成筑豊鉄道田川伊田駅を参照のこと。
駅から徒歩1分。海津見神を祭神としており、神功皇后が社前の石に腰をかけるとそれまでの風雨が治まったという伝説があります。しっとりした森に囲まれた神社で、ふだんはきわめて静か。毎月5月に行われる「川渡り神幸祭」が名高く、獅子舞と大御輿、山笠が彦山河畔で水しぶきを掛け合う勇壮な祭です。境内参詣自由、無料。
駅から南西へ、徒歩8分。採炭の実際、採炭夫の生活や風俗のほか、田川の歴史・民族史料などを展示。210円、月・3日休。
【URL】http://www.joho.tagawa.fukuoka.jp/sekitan/
駅から西へ徒歩10分、またはバスで「日ノ出町口」下車徒歩5分。「筑豊からの発信」をテーマに、地域ゆかりの芸術作品を中心に展示。100円、月休。
《乗り換え》平成筑豊鉄道-伊田線
2003年10月18日
2005年3月25日、加筆修正
2008年11月27日、写真を追加のうえ加筆修正
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