九州におけるかつての玄関駅は観光拠点に

門司港

もじこう
Mojiko

「門司港駅は九州最古の駅である」「門司港の駅舎は九州で最古の駅舎である」という記述を多数見かけますが、これは明白な誤りです。詳細は本文をご覧ください。

門司港駅
▲門司港駅駅舎《2008年11月1日撮影》
門司港駅ホームから駅舎を望む
【写真1】門司港駅ホームから駅舎を望む。現在使われいてるホームの数はごく限られています。《2008年11月1日撮影》

鹿児島本線の起点にして、東京方面からみた九州の玄関口は、下関の対岸である門司でした。本州における西側の鉄道限界は下関で、ここから対岸の門司までを結ぶ鉄道連絡船が運航され、九州における鉄道は門司からスタートし、各地へ人やモノを運んでいきました。

1942年11月15日に関門トンネルが開通して以降、その役割は新たに門司の駅名を冠した大里に移り、さらに輸送手段の多様化や山陽新幹線の開通などによって北九州地域全体の重要性は大きく低下してしまいましたが、かつての栄華を今に伝える建築物が門司地区には多く残っており、今では“門司港レトロ”は、九州を代表する一大観光地となっています。その門司地区の拠点としての新しい役割を担っているのが、現在の門司港駅といえます。

腕木式信号機と0哩標
【写真2】腕木式信号機と0哩標。もっとも、実際には門司港駅は移転しており、ここが発祥の地というわけではありません。《2008年11月1日撮影》

門司港駅は、地平ホームが櫛形に並ぶ頭端式となっており、その先端部分にレールと垂直方向に駅舎が建っています。このため、連絡船を降りた旅客は門司港駅の改札を通ると、そのままホームへまっすぐ向かうことになります。頭端式の始発駅兼終着駅だからこそ可能な、いわば究極のバリアフリーを実現している駅になっています。都市部のターミナル駅にも頭端式の駅は多く見られますが、このように「地平からそのまま列車に乗るまでフラットな駅」は数少なくなっています(小田急新宿駅地上ホームなどの類例はあります)。

かつて長編成の列車が出入りしていたまっすぐに伸びるホームの中ほどに立って小倉方面を見ると、屋根からホームと垂直方向に電照式の駅名標が「もじこう Mojiko」と書かれた状態で下がっており、その先にはただ蛍光灯による照明のみが続きます。いっぽう駅舎側を見ると、ややいかつい感じの名駅舎がデンと座っています。長いホームは、かつてこの地が重要拠点であった当時から変わらぬまま、黙して現在の役割を担っているわけです。

現在のホームは2面4線となっています。

門司港駅改札口
【写真3】門司港駅改札口。自動改札機が似合わないことおびただしいながら、なんとか駅の雰囲気に溶け込ませようと努力した塗色になっています。駅員の制服にも注目。なお、写真右手には木製のラッチが置かれています。《2008年11月1日撮影》

線路の先端部分、改札口に近い部分には、腕木式信号機や動輪などが保存されています。それとともに「0哩」の碑が立っていますが、これは九州の鉄道100周年を記念して1972年に建てられたものですが、実際の鉄道発祥の地とは位置が異なっています。旧駅は山側に少し離れたところにあり、現在では九州鉄道記念館の入口付近に三角形の「0哩標跡」が残っています。

門司港駅コンコース
【写真4】門司港駅コンコース。自動券売機や「みどりの窓口」などが雰囲気を壊すことのないよう、レイアウトも工夫されています。《2008年11月1日撮影》

出札窓口などには古きよき時代の雰囲気をよく残しており、即席の売店などが設置されています。フロア内の掲示は、【写真4】の窓口上側を見てわかるとおり、筆書きの案内表示になっており、駅全体がレトロ調のレイアウトで統一されています。最初に見たときには、ここまでやらなくとも、という思いがありましたが、やはり演出するなら徹底的にやるべきで、この門司港駅での試みはおおむね成功しているといえましょう。大理石とタイル張りの手洗い所も一見の価値があります。

駅舎を正面斜めより
【写真5】駅舎を正面斜めより。これだけの大きさの建造物が木造というのだから驚きです。《1994年3月13日撮影》

駅舎を外に出て眺めると、大柄な建造物であることがわかります。外壁が白基調のモルタル洗い出しであることから遠目には石造りに思えますが、なんとこれでも木造です。九州の玄関口に恥じない堂々たる丈夫ぶりですが、この駅が鉄筋や鉄骨造りにならなかったのは、その当時すでに関門トンネルの計画が動いており、永久建築にする必要はないと判断されたといいます。もっとも、関門トンネルの接続駅となった当時の門司駅舎はすでになく、鉄道輸送の本流から取り残された形の門司港駅舎が健在なのですから、歴史は主流に足を踏み入れた存在には意外に冷淡であることを思い知らされます。

駅舎は左右対称のルネッサンス様式で、緑青色の銅板スレート屋根をいただく重厚な建物です。このデザインは「門」の字をかたどったものと言われます。玄関から大きく張り出した庇、そして改札口付近の屋根は鉄骨のトラスが露出しており、今から見るとアンバランスな印象を受けますが、当時はむしろ鉄の無機質さが安心感を与えたのではないでしょうか。2階建てとなっている部分は、かつては洋食堂になっていましたが、現在では小ホールとして利用されているそうで、このあたりの利用法は日光駅に通じるものがあります。コンコースを挟んで、かつては海側に一二等待合室、山側に三等待合室がありましたが、前者はレストランに、後者は「みどりの窓口」になっています。このほか、海側には連絡船桟橋への通路が残っていますが、現在では入口は封鎖されています。

門司港の駅舎は、駅舎建築のみならず鉄道施設として最初に国の重要文化財指定を受けたことで有名です(その後に国重文指定を受けた駅舎としては、東京駅丸の内本屋、旧大社駅本屋があります)。設計者はドイツ人技師とのことですが、誰なのかは特定できていません。

駅舎を横から望む
【写真6】駅舎を横から望む。《2008年11月1日撮影》

駅前には大きな噴水を持つ広場があり、噴水を挟んで駅全体をよく眺められるようになっています。駅のはす向かいには旧門司三井倶楽部があるなど古い建物が多く残り、門司港駅は門司港レトロの観光拠点となっています。駅構内に設置されている観光案内所でも、駅をスタート地点として散策するコースなどを記したパンフレット類を配布しており、ゆっくりと時間をかけてまわることをお勧めします。特に近代建築好きにとっては、たまらない一帯といえるでしょう。

その反面、関門トンネル開通後も臨港地域としての役割を担っていた門司地区がまるごと一帯観光地に転じたことで、港湾エリアとしての風情がまったくといってよいほど感じられなくなっていることもまた事実です。門司港駅南側から分岐してたJR貨物の路線が、平成筑豊鉄道によって観光専用鉄道として再生するとのことですが、その折りには門司の風景もまた変わるのでしょう。

なお、「門司港駅は九州最古の駅」という記述をWebサイトでしばしば見受けますが、これは明白な誤りです。現在のJR鹿児島本線の前身である九州鉄道の門司(現、門司港)-黒崎が開通したのは1891年4月1日ですが、九州で最初に鉄道(軌道含む)が開通したのは1889年12月11日の博多-千歳川仮停車場で、当時の開業駅は博多、雑餉隈(現、南福岡)、二日市、原田、田代、鳥栖、千歳川となり[1]、現存する駅では前の5駅が九州最古となります。

また、「門司港の駅舎は九州最古の(木造)駅舎である」といった記述もWebサイトでしばしば見受けますが、これまた明白な誤りです。九州内には古い駅舎が多く残っており、それらの建造年代を正確に特定するのは難しいのですが、特定できるものとしては鳥栖(長崎本線)の1911年があり[2]、客観的史料に乏しいものの油須原(平成筑豊鉄道田川線)や上有田(佐世保線)など、明治時代の開設以来改築の記録がないものもあります。門司港駅駅舎の建築史における意味を減じるものではありませんが、少なくとも九州最古のものではありません。

いずれも、出典がどこかは明確にされないまま記述されているWebサイトが多いのですが、以上は一次史料にあたらずとも、ある程度信頼できるデータブックを調べればすぐにわかることですので、この場で注意を喚起します。

停車列車 [2013年9月現在]

確認中。

乗り場

3番線は欠番になっています。1・2番ホームと4・5番ホームの間に短く細いホームがあるため、かつてこれを使っていたのでしょうか。

  • 1.鹿児島本線下り 小倉、博多方面
  • 2.鹿児島本線下り 小倉、博多方面
  • 4.鹿児島本線下り 小倉、博多方面
  • 5.鹿児島本線下り 小倉、博多方面

駅名の由来

特記事項なし。

歴史

詳細は確認中。

  • 【1891年4月1日】 九州鉄道門司-小倉-黒崎が開通した際に、門司駅の名称で一般駅として開業。なお、小倉-黒崎は山側のルートを通っていましたが、戸畑経由のルート開通後の1911年9月かぎりで廃止されています。
  • 【1898年9月1日】 山陽汽船により下関港-門司港の航路が運行され、徳山-下関港-門司というルートで鉄道連絡船体制が整います。
  • 【1901年5月27日】 山陽鉄道が下関まで全通、航路が下関-門司となります(1906年12月1日、関門航路国有化)。
  • 【1907年7月1日】 九州鉄道が国有化されます。
  • 【1914年1月--日】 現在の駅舎が竣工。
  • 【1930年4月1日】 門司-外浜の貨物支線が開業。
  • 【1933年2月5日】 葛葉(現在は廃止)-門司港(もじみなと)の貨物支線が開業。
  • 【1942年4月1日】 それまでの大里を門司、門司を門司港(もじこう)、門司港(もじみなと)を門司埠頭と改称。
  • 【1942年11月15日】 関門トンネルが開通。
  • 【1964年10月31日】 この日かぎりで関門航路廃止、門司港-門司は純然たる盲腸線となります。
  • 【1974年3月4日】 この日かぎりで貨物営業廃止(外浜への貨物支線は存続)。
  • 【1982年11月14日】 この日かぎりで門司埠頭支線廃止。
  • 【1987年4月1日】 国鉄の分割民営化に伴い、JR九州およびJR貨物の駅となります。
  • 【1988年12月19日】 駅舎が国重要文化財の指定を受けます。
  • 【2004年3月25日】 外浜-門司港-直方-金田の貨物列車が廃止され、貨物列車の運行が終了。
  • 【2005年10月1日】 外浜支線の営業が休止となります。
  • 【2008年6月4日】 平成筑豊鉄道、特定目的鉄道として門司港-和布刈公園の事業許可を受けます。

周辺の見どころ

詳細は、「日本観光図会」に記載予定。

その他

  • 駅本屋は、国の重要文化財(近代/産業・交通・土木)
  • 経済産業省、門司港駅を「近代化産業遺産群33」を構成する産業遺産として認定。[2007年11月30日発表]

  1. 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』1998年、681ページ、JTB。
  2. 磯田桂史「九州旅客鉄道(株)鳥栖駅舎の建築年代について(日本近代:官衛・鉄道、建築歴史・意匠)」『学術講演便概集 F-2、建築歴史・意匠』vol.2006、409-410ページ、日本建築学会。
2003年10月18日
2008年11月20日、写真を追加の上加筆修正

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