北九州がいまに伝える19世紀の息吹

折尾

おりお Orio
折尾駅
▲折尾駅東口駅舎《2008年11月1日撮影》

このページでは、鹿児島本線およびそれをアンダークロスしている筑豊本線の折尾駅について記述しています。陣原方面と東水巻方面を短絡する線路上に設置されている折尾駅については、筑豊本線 > 折尾駅 をご覧ください。

 

折尾駅東口駅舎正面
【写真1】折尾駅東口駅舎正面。《1998年2月27日撮影》

鹿児島本線と筑豊本線の連絡駅です。両線はもともと別々の鉄道会社によって運営されていたこと、東西方向と南北方向の物流がいずれも当初から多く高密度運転が行われたことによって、筑豊本線が地平、鹿児島本線が高架を走ることとなりました。このため、日本最初の立体交差を行った駅として知られています。

東口に設けられている駅舎と、ホーム間を結んでいるレンガ積みの通路全体が、いまに伝わる折尾駅を構成していますが、現在進められている折尾地区一帯の整備事業によると、鹿児島本線と筑豊本線が一体的に高架化される予定で、近い将来、現在の折尾駅は姿を消してしまうのはまちがいありません。駅舎の保存運動なども行われていますが、パーツ単位での保存が行われようと、折尾駅がもはや今までのものとは別ものになってしまうのは避けられないでしょう。

通路が複雑怪奇を究めており、現在の公共施設に求められる水準を満たしていないことは事実です。しかしその解決が、明治時代の立体交差が現役で使われてきたという奇跡を葬り去ることを前提とせざるを得ないとは思えないのもまた事実です。

 

東口コンコース支柱(1)
【写真2】東口コンコースにある支柱。ウイスキーの蒸留釜を連想させる立派なものです。《2005年3月10日撮影》

そんな、現在の折尾駅を象徴する東口駅舎は、門司港駅にも通じるものがある、縦長窓と下見板貼りの風格ある木造2階建てのもの。寄棟屋根はスレート葺きで、コロニアルスタイルを示すけれんのなさに好感を抱きますが、2階部分の窓と1階部分の明かり取り窓のバランスが崩れているのが気にかかります。かつてはハーフティンバーの外壁が特徴的でしたが、1986年に改修された際に現在の姿に落ち着きました。東口駅コンコース以外はかなり改修が行われているようで、古い写真などと比較すると創建当初の面影はあまりなく、建築史的価値はいささかかぎられたものに留まりそうです。

設計者は鉄道院の担当者と推測されますが、実のところよくわかっていません。辰野金吾が匿名でデザインを行ったという説もありますが、いかに権威ある大先生だったとはいえ、当時の官庁が民間の事業所へ非公式に打診するとは考えにくく、裏付けがあるものではありません。

なお、複数のWebサイトで「ルネサンス様式の折尾駅」といった表現を拝見しましたが、私にはこの駅舎のどこにルネサンス様式の特徴を見いだせるのか、よくわかりません。もっとも、日本における“ルネサンス様式”なる区分じたい、どこまで有効なものかとなると、もっとわかりませんが。

駅舎内部に入ると、真っ先に目に入るのが、2本の太い支柱。木造2階建ての建造物にはオーバースペックにも思えるこの支柱こそが、時代を語る生き証人ともいえるでしょう。天井との接合部分も凝っています。

 

東口コンコース支柱(2)
【写真3】もう1本の支柱には座席が設けられています。背後の自動券売機に隠れた装飾にも注目。《2008年11月1日撮影》

入って左手の支柱の付け根部分には座席が設けられており、利用者の休憩施設となっています。プラスチック製の強制区切り椅子に比べて、こちらのほうがずっとくつろげます。もっとも、鉄道施設の管理者からすれば、ここでくつろがれては困るのでしょうが。

 

折尾駅東口玄関
【写真4】折尾駅東口玄関。細かい装飾にも見るべきところはたくさんあります。《2008年11月1日撮影》

天井には格子模様があり、かつてハーフティンバー様式だった外観を内部に残しています。やはり細かい装飾が残っており、ランドマークとしての駅の存在感を出しています。

 

折尾駅東口改札
【写真5】折尾駅東口改札。鷹見口方面へ向かうには有人改札を通ります。正面に見えるのは若松行きのディーゼルカー。《2008年11月1日撮影》

その東口コンコースから自動改札機を入ると、真正面に列車が停まっているのが見えます。これは、筑豊本線の若松行き列車で、折尾から若松への路線は、現在折尾を通っている唯一の非電化区間になっています。いわば、表玄関に位置しているのが、いちばん陽の当たっていない路線の乗り場という、なんとも皮肉な形になっています。なお、短絡線の乗り場がある鷹見口への乗り換えには、自動改札を通らずに有人改札を通ります。

 

折尾駅筑豊本線地平ホーム
【写真6】折尾駅筑豊本線地平ホーム。左側が若松方面、右側が直方方面で、前者は現在も電化されていません。《2008年11月1日撮影》

地平は筑豊本線乗り場で、直方方面への乗り場(2番線)へ行くには、いったん狭い通路で高架上の鹿児島本線下りホームに上がり、再び地平へ降りることになります。筑豊本線と鹿児島本線の乗り場相互間では、それぞれ連絡通路が設けられているものの、幅が狭いことに加えて、階段が長年の経過ですり減っており、特に下りるときには難儀します。

 

理容室入り口
【写真7】1番線ホーム(筑豊本線若松方面)には、JR社員用と思われる理容施設があります。一般の乗客も利用できるかどうかは確認していませんが、国鉄時代の福利厚生施設がそのまま残っていることに、いい意味での驚きを感じました。《2005年3月10日撮影》

若松方面行きホーム(1番線)を直方方面に少し進むと、【写真7】のような看板が。どうやら、駅構内にJR社員を対象とした理髪店があるようです。

 

筑豊本線地平ホームより両線の交差部を望む
【写真8】筑豊本線地平ホームより両線の交差部を望む。柱に描かれているイラストは、改修前の東口駅舎。かさ上げされたホーム、過剰な太さを持つ高架支柱、板貼りの高架ホーム障壁にも注目。《2008年11月1日撮影》

翻って、鹿児島本線が筑豊本線をオーバークロスする部分を見ると、改修前の折尾駅を描いた壁画が見られます。下にはホームかさ上げ前のレンガ積みが露出しており、上には板貼りの高架ホーム壁。折尾駅という老駅が、補修も改修も重ねられつつ、その年輪を隠すことなく淡々と職務をこなしているような、そんな風に見えます。

 

レンガ通路
【写真9】1番線と4・5番線を結ぶレンガ通路。レンガはきれいに整備されており、地下通路にありがちな薄暗さは感じませんでした。《2008年11月1日撮影》

駅舎と並ぶ折尾駅の名物は、筑豊本線ホームと鹿児島本線ホームを結ぶ、レンガ積みの地下道でしょう。このうち、東口のある1番線へ通じる通路は、照明はしっかりしているものの狭いうえに屈曲しており、歩きにくいのが難。いっぽう西口のある2番線へ通じる通路は、照明が暗く階段が頼りないのが難。いずれにせよ、レンガ積み自体はみごとなものの、利用するにはかなりの不満が残る施設になっていると言わざるを得ないでしょう。レンガ積みを残したまま通路を拡幅するのは無理なのかもしれませんが。

 

折尾駅西口駅舎
【写真10】折尾駅西口駅舎。寄棟の屋根は東口を参考にしたのでしょうか。小規模ですが、大学が近く、現在の人の流れは西口に向いています。《2008年11月1日撮影》

さて、地平ホームの反対側、2番線側には、別途西口出口があります。こちらは、自動券売機と自動改札機、そして簡素な有人改札があるのみで、「みどりの窓口」など主要な施設のある東口にくらべ、明らかに裏手の扱いになっています。それも当然で、現在の駅ができてから1世紀にわたり使われてきた東口とは異なり、こちら西口はJR化後に設置されたものであり、重みがないのも仕方ありません。

折尾の市街地はもともと東口側に形成されてきましたが、九州共立大学の開校(1965年)や北九州学術研究都市の設置(現在整備中)などによって西口側は学生の利用が多くなり、人の流れもかなり変わっているようです。ただし駅前は非常に狭く、鹿児島本線をアンダークロスする県道にも余裕がないため、路線バスやタクシーの出入りも困難で、早急な整備が望まれます。

 

鹿児島本線高架ホーム
【写真11】鹿児島本線高架上りホーム。上屋支柱は古レールで作られています。《2008年11月1日撮影》

筑豊本線ホームから鹿児島本線ホームへ上がると、下り線が単式、上り線が島式の2面3線となっています。ホームは北西側へ張り出す形にカーブを描いており、ホームの小倉側の端、ホーム中ほどやや博多寄りにそれぞれ連絡通路への入口が設けられ、前者は東口および筑豊本線若松方面乗り場、後者は西口および筑豊本線直方方面乗り場へ連絡しています。このルートがなかなかわかりにくく、「乗り換えの面倒な折尾駅」というイメージを定着させた観があります。もっとも、西口および短絡線上の乗り場が設けられる前は、ここまで複雑なイメージはなかったのでしょうが、出入口の増加に伴い人の流れが複雑になったことが、このようなイメージを増幅させたといえましょう。

 

駅弁の立ち売り
【写真12】折尾駅では、駅弁の立ち売りが健在です。ピンボケなのはご容赦を。《2005年3月10日撮影》

折尾駅の隠れた名物として有名なのが、今なお現役の駅弁立ち売りです。折尾駅の名物駅弁といえば東筑軒の「かしわめし」ですが、全国的にも少なくなった立ち売りの売り子からこれを買うことができます。窓を開けられる車両がごく少なくなった現在、この販売方法ではあまり数を期待することはできないでしょうが、折尾駅名物のひとつになっていることは間違いありません。

折尾駅東口から南側には運河が延びており、駅の南側から東口駅舎方面を眺めると、なかなかの絵になります。また、鹿児島本線北側に連なる運河と、そこにびっしり並ぶ建物の列も、素敵なものです。この光景も過去帳入りしてしまう可能性が高いのですが、保持すべき景観というものが“歴史的景観”に限定して判断されることが多い現状においては、単なる飲み屋街という以上の評価はできないのでしょうか。

文化財としての価値の高い駅舎といえば、この折尾からほど近い門司港が有名ですし、その重要性は素人があらためて言を加える必要などないものでしょう。しかし門司港は、物流のメインから外れたことによって生きながらえた、いわば傍流ゆえ放置されていたがために今まで残り、現在では放置されていた結果そのものが観光資源となるという転倒をうけ、本来の役割とは異なる状態で脚光を浴びているわけです。翻ってこの折尾は、重要幹線と亜幹線の結束点という本来の役割を変じることなく、往年の設備に手が加えられつつも現役で使われているものです。自身が対象となることなくして、ありのままが伝わる。偶然の連続がもたらしたかのような今の空間、それを記録にのみ留めてしまうのは、あまりにも愚かしいことではないでしょうか。

命脈の長からんことは望むべくもなかりせど、その息の一日も続かんことを、切に望みます。

停車列車 [2017年5月現在]

鹿児島本線を走るすべての列車が停車します。なお、筑豊本線はこの区間では全便各駅に停車するため、割愛しました。

  • 特急 黒崎折尾赤間※1
  • 快速 黒崎折尾赤間
  • 準快速・普通 陣原折尾水巻
  • ※1 便によって、香椎、博多のものもあります。

乗り場

筑豊本線乗り場である1番線および2番線は地平ホームで、東口側が1番線、西口側が2番線です。鹿児島本線乗り場は高架上で、3番線が南側の単式、4番線と5番線が北側の島式です。

  • 1.筑豊本線(若松線)上り 二島、若松方面
  • 2.筑豊本線(福北ゆたか線)下り 直方、新飯塚方面
  • 3.鹿児島本線下り 博多、八代方面
  • 4.鹿児島本線上り 小倉、門司港方面
  • 5.鹿児島本線上り 小倉、門司港方面

駅名の由来

確認中。なお、駅開設当初の行政体は「遠賀郡洞南村」でした。

歴史

黒崎と並び、北九州市内で最も古い駅です。石炭と製鉄で支えられてきた駅も、現在では学園都市の玄関駅へと姿を変えつつあります。

1891年2月28日
九州鉄道が遠賀川から黒崎まで延長開業し、九州鉄道折尾駅が開業。
1891年8月30日
筑豊興業鉄道が若松-直方を開通させ、筑豊興業鉄道折尾駅が開業。当時は九州鉄道の駅に筑豊興業鉄道が乗り入れ、駅舎のみ別となっていました。
1895年11月3日
九州鉄道と筑豊鉄道(1894年8月に筑豊興業鉄道が改称)が共同で建築した駅本屋が完成、共同使用開始。これが日本最初の立体交差の供用開始でもあります。
1897年10月1日
筑豊鉄道が九州鉄道に合併され、九州鉄道の単独駅となります。
1907年7月1日
九州鉄道が国有化されます。
1916年--月--日
現在の駅舎が完成、使用開始。
1965年9月30日
この日かぎりで貨物営業廃止。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR九州の駅となります。
1988年3月13日
2番ホームに出口(西口)を新設。また、鹿児島本線(小倉方面)と筑豊本線(直方方面)を結ぶ短絡線上にホームと乗り場(鷹見口)を新設。従来のメイン出入口は「東口」となります。
2017年1月2日
鹿児島本線ホームを移設[1]

周辺の見どころ

駅そのものが見どころであるほか、折尾周辺にはレンガ橋なども多く残っています。詳細については準備中。

  1. JR九州プレスリリース「平成29年1月2日に折尾駅の鹿児島本線ホームが変わります!」[PDF] (2016年11月30日)。

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