2020年7月に発生した令和2年7月豪雨に伴う災害のため、久大本線は日田-向之原間が運休となっています。(2020年7月25日現在)

一大温泉地の玄関

由布院

ゆふいん
Yufuin
由布院駅
由布院駅駅舎。2008年11月3日

 

由布院駅コンコース
写真1由布院駅コンコース。ラッチがないことに加えてトップライトにより開放的な空間を演出、床面をフルフラットにして内外の障壁を撤廃しています。2008年11月3日

由布院温泉の玄関口で、久大本線沿線はもちろん、九州北部地域でみても屈指の一大観光地の玄関駅です。温泉街特有のすすけた雰囲気がなく若い女性が多く訪れるのが特徴で、このためJR九州のみならず全国的に見ても、独特の試みがなされている駅として注目を浴びてきました。

駅舎のデザインは、大分県とゆかりの深い建築家として名高い磯崎新の手によるもので、駅舎設計を外部の著名な建築家に委嘱したことそのものが話題となりました[1]。温泉街湯布院の玄関として、イベントホールと観光案内所を駅舎の中に取り込み、観光客にとってはホスピタリティに満ちた空間になるよう、地元住民にとっては経済活動の核となるような建物が目指されています。

駅は木造平屋建てですが、中央部コンコースに方形のドームを配してトップライトを入れています。また、ラッチを撤廃することでコンコースとホームの間の視覚的な障壁を廃し、開放的な空間を演出しています。床面が完全にフラットになり、大型ガラスを多用している点も特徴的です。時刻表や運賃表なども壁面には設置せず、可動式のパネルに掲示して適宜移動させており、これもほかに例を見ない工夫といえます。

 

島式ホームから駅本屋を望む
写真2島式ホームから駅本屋を望む。軒下に見える曙光は、由布院駅のトレードマークです。2008年11月3日

ラッチがないといっても集改札自体は行われます。列車の到着時刻が近づいてくると駅員がホームとコンコースの間に立って適宜切符をチェックし、下車客からは乗車券類を回収しています。運転本数が限られているローカル駅の集改札体制はこれで十分なのも確かで、郊外の駅において一般的なスタイルのラッチをあえて用意する必要がないわけです。

 

福地蔵
写真3「みどりの窓口」の脇には「福地蔵」が。2008年11月3日

「みどりの窓口」はオープンカウンターとなっており、ここが出改札窓口を兼ねていますが、窓口はひとつしかないため、特急の入線時刻が近くなると行列ができ、オペレーションによってはホームへの入場に支障を来します。一大観光駅である以上、ここのキャパシティには余裕がほしいのですが、鉄道駅ならではの流動に気が回らなかったと見るべきなのでしょうか。窓口の脇には「福地蔵」なる、福助と地蔵を足して二で割ったような置物が置かれていました。

 

由布院駅1番線
写真4駅本屋側1番線のレイアウトは、駅舎に完全にあわせています。2008年11月3日

コンコースから正面左手には待合室を兼ねたギャラリーがあり、トップライトからの採光もあって明るい空間になっています。

コンコースに面した駅舎側の1番線に立つと、なんと下見板貼りを黒塗りにした壁面という、時代不詳なスタイルのしろものが目に入ります。照明は行灯風にしてあり、唯一床だけが、オーソドックスなアスファルト舗装になっています。すなわち、駅舎の外観と同様に、木炭を連想させる黒で統一され、重厚感を出しつつスマートさを兼ね備えたシックなものに仕上がっています。ベンチからゴミ箱まで同一のカラーリングで統一しており、ここにJR九州自慢の派手色車両が入線してきた日には、そのコントラストは暴力的なまでに強烈です。私は「ゆふいんの森」の地味な緑色を見たとき、JR九州らしからぬカラーリングだと思ったものですが、この由布院駅を見て、なるほど、と思ったしだいです。

 

由布院駅足湯
写真51番ホーム久留米方には足湯があります。乗車券および入場券のほかに別料金が必要です。2008年11月3日

この1番線の久留米方には足湯があり、ここでリラックスする観光客を多く見かけました。湯布院という温泉にきて足湯にわざわざ入る人がいるのかという気もしたのですが、意外と雰囲気を楽しみたいという需要は多いようで、私がのぞいたところ、ほぼ満員に近い状態でした。なお、ホーム内に足湯を設けている駅では、乗車券や入場券があれば自由に入れるところが多いのですが、ここ由布院駅では別途料金が必要です。

 

由布院駅2・3番ホーム
写真6普通列車が発着する島式ホームは、ごくオーソドックスなデザインです。2008年11月3日

いっぽう、跨線橋をわたって連絡している島式ホームは、特にカラーリングに凝っているものではなく、ごくオーソドックスなデザインです。駅全体をすべて同一デザインで統一するだけの余裕はなかったということなのでしょうか。

駅そのものが非常に特異な空間となっており、非日常性と日常性を融合させる設計になっている点は評価できます。ただし、駅の写真を撮ろうとする人が多く、道路が狭く自動車の往来が激しい駅前が渋滞する一因となっている面も否定できません。もちろん、跨線橋などつくってはぶちこわしですし、かといって今から道路を拡幅するのも現実的ではなく、自家用車の通行規制を検討してはいかがと思うのですが。

駅正面には由布岳が見え、その両脇には土産物屋などがずらりと立ち並んでいます。駅のすぐ脇には辻馬車やボンネットバスなどが出ており、若い女性を中心として観光客受けする設備が整っています。東日本におけるかつての軽井沢に似た雰囲気があります。福岡や小倉といった大都市圏から一泊二日がちょうどよい距離ということもありますが、あえて大規模開発を行わず団体客への依存も抑え、地道な観光客誘致を続けてきた成果といえるでしょう。

由布院駅は現在由布市にありますが、“平成の大合併”以前は、旧湯布院町にありました。この「湯布院町」は、旧「由布院町」と旧「湯平村」が合併した際、双方をあわせてつくられた合成地名で、このため「湯布院町の玄関駅が由布院駅」という、はなはだわかりにくい状況が50年にわたり出現しました。また、高速道路のインターチェンジ名は、基本的に地方公共団体の名称から取られるため「湯布院インターチェンジ」が存在し、混乱に拍車をかけています。以上の経緯より「湯布院」の表記は、少なくとも旧由布院町および旧湯平村を包摂する地域を示す場合に限定して用いるのが本来の用法でしょうが、「湯布院温泉」なる温泉表記を記したパンフレットも複数見られ、実際には観光地として広く知られる由布院のことを「湯布院」と記す誤表記が定着しつつあるようです。なお、旧湯平村の玄関駅は、鉄道開通以来かわらず「湯平」のままです。

停車列車 [2008年12月現在]

特急を含む全列車が停車します。また、この由布院停まりになる列車、長時間停車をする列車も多く設定されています。

乗り場

駅本屋前が1番線、島式ホームが2番線および3番線です。特急列車は1番線を使うことが多いようです。

  • 1.久大本線 (方向不定)
  • 2.久大本線 (方向不定)
  • 3.久大本線 (方向不定)

駅名の由来

もとの駅名は「北由布」でしたが、旧由布院町の玄関として現駅名になりました。由布の名称については確認中。

歴史

詳細は確認中。

略年表(クリックまたはタップで開閉)
1925年(大正14年)7月29日
大湯線が小野屋から北由布まで延長され、北由布駅として開業しました。
1926年(大正15年)11月26日
大湯線が北由布から野矢まで延長され、中間駅となります。
1950年(昭和25年)1月1日
駅名を「由布院」に変更。
1978年(昭和53年)3月31日
この日限りで貨物営業廃止。
1987年(昭和62年)4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR九州の駅となります。
2020年(令和2年)7月6日
令和2年7月豪雨に伴う水害に伴い、久留米-由布院間が運休。
2020年(令和2年)7月7日
由布院-庄内間が運休。

駅周辺

確認中。

近隣の見どころ

確認中。

  1. なかには駅舎設計を著名な建築家に依頼したのは、東京駅(大正三年・辰野金吾)以来ではなかろうか(交通設計・駅研グループ『駅のはなし -明治から平成まで-』1994年、成山堂、226-203ページ)のような極端な論も見られます。いうまでもなくこれは誤りで、駅ビルの類を抜きにしても、田園調布(矢部金太郎設計)、賢島(村野藤吾設計)、橿原神宮前(同)、など、鉄道業界外部の著名な建築家が設計を担当した駅舎は複数存在しています。しかし、由布院駅設計当時、鉄道駅じたいが内部でつくるものという“常識”が定着していたことは確かで、駅の歴史上エポックメイキングな出来事になったとはいえるでしょう。

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