別府市街地の南限、山が海に近接しだしたところに設けられている駅が、ここ東別府です。駅名は「東別府」ですが、別府駅および別府市の中心街からみると南側に位置しています。
相対式ホーム2面2線から成り、駅本屋は下りホームに面しており、上りホームとの間は跨線橋で連絡しています。
駅舎は木造平屋建、寄棟屋根の両側に庇を配したオーソドックスなものです。開業以来改築の記録がなく、客観的史料に乏しいものの、1911年11月開通時のものがそのまま使われている可能性があります。
駅はホームと平行に横に長くなっており、ホーム側には大きな庇を設けています。このため、一見二重屋根のような外観になっています。ホーム側にはプランターに折々の花が咲いており、モノトーンの駅舎と好コントラストをなしています。
駅舎は別府市が指定文化財として保護することを決めて以降、開業当時の雰囲気を再現するような形で改修されており、ラッチは木製のものになっており、照明も電球風のものが据えられています。
駅舎が比較的大柄であることを反映して、待合室はかなりゆったりしており、現在のこの駅の使用状況からみるとややオーバースペックにも見えます。かつてはこの待合室が満杯になるほどの利用者がいたということなのでしょうか。窓ガラスが多用されており、中にいると見た目よりも明るく感じます。出札窓口なども昔の有人駅を思わせる木枠を用いたものになっています。このほか、移動式の自動券売機がありますが、これも木製のラックの中に収められており、雰囲気を壊さないような配慮がなされています。
細かいところまでレイアウトの整合性が取られているのには感心しましたが、列車本数が多いいっぽうで、この駅を見に訪れる人がどれだけいるのか、という気もなくもないのではありますが。
駅舎は、ホーム側よりも小さいものの玄関側にも庇を設けています。漆喰の白壁とあわせて、どことなく重たい印象を与えるデザインになっています。駅正面は傾斜地上にあり、駅前を通る道路よりも一段高いところに横長の平地を設け、これを駅前広場としています。この細い平地から駅正面を見ると、ちょっとしたお屋敷の玄関のようにも見えました。
なお、玄関の左手に、別棟の新しいトイレが設置されています。
駅の玄関右手(北側)には「停車場建設記念碑」が建てられていました。記念碑の委細については未確認ですが、「鉄道建設」ではなく「停車場建設」の記念碑になっているのはなぜなのでしょうか。
駅の周辺は別府市郊外の住宅地ですが、駅正面の光景は正直なところ殺風景で、車が行き交っているのみで、あまり楽しいものではありませんでした。なお、温泉地はこの付近まで広がっており、駅周辺は別府八湯の一「浜脇温泉」が湧出、日帰り温泉施設などが立地しています。
停車列車 [2008年12月現在]
特急は停車しません。
乗り場
番線表示は見当たりませんでした。
- (東側)日豊本線下り 大分、宮崎方面
- (西側)日豊本線上り 別府、小倉方面
駅名の由来
確認中。
歴史
路線開通時に設けられた駅です。
- 【1911年11月1日】 別府-大分が開通した際に浜脇駅として開業しました。
- 【1934年4月15日】 駅名を浜脇から東別府へ改称<。
- 【1945年6月9日】 この日かぎりで貨物扱い廃止。
- 【1987年4月1日】 国鉄の分割民営化に伴い、JR九州の駅となります。
- 【2003年2月5日】 駅本屋、別府市有形文化財に指定[1]。
周辺の見どころ
確認中。
その他
- 駅本屋は、別府市指定有形文化財。
- 別府市生涯学習課「別府市の指定文化財」。
【日豊本線】 小倉-西小倉-南小倉-城野-安部山公園-下曽根-朽網-苅田-小波瀬西工大前-行橋-南行橋-新田原-築城-椎田-豊前松江-宇島-三毛門-吉富-中津-東中津-今津-天津-豊前善光寺-柳ヶ浦-豊前長洲-宇佐-西屋敷-立石-中山香-杵築-大神-日出-暘谷-豊後豊岡-亀川-別府大学-別府-東別府-西大分-大分-牧-高城-鶴崎-大在-坂ノ市-幸崎-佐志生-下ノ江-熊崎-上臼杵-臼杵-津久見-日代-浅海井-狩生-海崎-佐伯-上岡-直見-直川-重岡-宗太郎-市棚-北川-日向長井-北延岡-延岡-南延岡-旭ヶ丘-土々呂-門川-日向市-財光寺-南日向-美々津-東都農-都農-川南-高鍋-日向新富-佐土原-日向住吉-蓮ヶ池-宮崎神宮-宮崎 …(略)…鹿児島