高千穂への途は遠い夢に

高森

たかもり Takamori
高森駅
▲高森駅駅舎《2012年3月19日撮影》

線路の向きを大きく変えて終着駅へ

高森駅に到着した列車
【写真1】高森駅に到着した列車。《2012年3月19日撮影》

南阿蘇鉄道は、見晴台の先で向きをぐいっと北に向け、沿線で最大の町である高森町に到着します。

車両基地には各種車両が休む

高森駅ホームより車両基地を望む
【写真2】高森駅ホームより車両基地を望む。《2012年3月19日撮影》

終着駅の高森は、南阿蘇鉄道としても最大の駅です。ホームそのものは駅本屋前の1面のみですが、構内には車両基地があり、レールバスやトロッコ列車などが多数休んでいます。

観光客の迎え入れを意識して

高森駅ホーム(奥は立野方)
【写真3】高森駅ホーム(奥は立野方)。《2012年3月19日撮影》

ホームは比較的長めで、立野方ではカーブから続いていることもあって、少し弧を描いています。ホーム上にはベンチが多く置かれているほか、観光客を意識したのぼりが多数はためいていました。

駅舎内は物産館と化しています

高森駅駅舎内
【写真4】高森駅駅舎内。《2012年3月19日撮影》

駅舎は八角形の時計台を持っており、山小屋のような教会のような、摩訶不思議ながら楽しい外観です。中に入ると、中央部時計台の下は明かり採りからの光が天井から穏やかに注ぎ、木の暖かい雰囲気をよく出しています。

有人駅で、南阿蘇鉄道の乗車券類を販売していますが、むしろ駅舎内は土産物の販売スペースのほうが多く、売店としても機能しています。

駐車場の脇には蒸気機関車が

高森駅駅脇の駐車場
【写真5】高森駅駅脇の駐車場。《2012年3月19日撮影》

駅前には名産品展示施設などが建っており、駐車場が整備されているほか、C12 241が静態保存されていました。晩年は鹿児島や熊本などで活躍した機関車です。

町らしい町が広がります

高森駅駅前の「昭和通り」
【写真6】高森駅駅前の「昭和通り」。《2012年3月19日撮影》

駅前には民家が密集しているほか、商店もぽつぽつ建っています。観光客を意識している店舗もあれば、昔からあまり変わらずに地元客のみを相手にしている店舗もあり、南阿蘇鉄道沿線で随一の町らしい町の風景が見られます。

かつて鉄道建設が行われていた高千穂・延岡方面へ向かうバスは、駅から少し離れたバスターミナルより発車しています。

駅名の由来

確認中。

歴史

路線開業当初からの駅です。

1928年2月12日
国有鉄道(鉄道省)宮地線・立野-高森間が開業した際、高森駅開業。
1984年1月31日
この日かぎりで貨物営業廃止。
1986年4月1日
国鉄高森線(第1次特定地方交通線指定)が南阿蘇鉄道に転換、同社の駅となります。
2016年4月14日
熊本地震発生により、全線で運休(その後16日から運転再開を予定するも、同日未明の地震発生により、再度運休)。
2016年7月31日
中松-高森間が復旧、運転再開[1]

周辺の見どころ

確認中。

◆ミニコラム◆ 未成線のトンネルが観光地に

南阿蘇鉄道の下り列車に乗り見晴台駅を出ると、ぐいっと左に向かいます。沿線最大の人口集積地である高森町の中心部がこの方面にあるからですが、かつては、このカーブを無視するように直進するルートで線路を延伸する工事が行われていました。これは、延岡から高千穂を経て高森にいたる国鉄高千穂線として計画されたもので、開通した暁には高森駅も新線上に移転する運びになっていました。ところが、このカーブの先で建設中の高森トンネルで異常出水が発生し、工事は中断。そうこうしているうちに、国鉄の新線建設そのものが全国でストップ。高森側では国鉄高森線が南阿蘇鉄道に、延岡側ではJR高千穂線が高千穂鉄道(のちに廃止)に転換されたものの、両者を結ぶ区間を引き受ける動きはなく、そのままうち捨てられてしまいました。

異常出水のあった高森トンネルは、現在「高森湧水公園」という名前の観光地に生まれ変わっています。未成線のトンネルが観光利用されているのは、全国的にも非常に珍しい例です。水が多く湧き出ていることをアピールしている南阿蘇地区ならではともいえましょう。

  1. 南阿蘇鉄道プレスリリース「部分運転再開のお知らせ【中松駅-高森駅区間】」(2016年7月21日)。

このページの先頭へ