出生経緯はすこぶる複雑

公文明

くもんみょう Kumommyo
公文明駅
▲公文明駅《2008年7月5日撮影》

 

公文明駅近くにある農業倉庫
【写真1】公文明駅近くにある農業倉庫。背後には白山が見えます。《2008年7月5日撮影》

片面ホームに屋根があるのみの無人駅です。長尾線の無人駅によくあるように、瓦町方に階段があるほか、裏口的な通路がホーム中ほどにあって、平行する路地に出ることができます。

駅のすぐ脇には、大きい農業倉庫が隣接しています。ローカル線の駅では農産物の搬出基地だった時代の名残としてしばしば見られる光景ですが、この駅が貨物輸送の扱いを行っていたという記録は確認できていません(平木や長尾は貨物扱いあり)。立地を見ると、鉄道を使った農産物輸送があったとみるのが自然ではありますが。

駅の周辺は小規模な集落になっています。

駅名の由来

確認中。

歴史

開業直後および戦後に駅の改廃がありました。このページでは、1952年の公文明駅設置を開業日としています。

1912年4月30日
高松電気軌道の出晴-長尾間が開業した際、「(旧)井戸」「長尾西」両駅開業。
1915年ごろ
長尾西駅廃止、これに続き(旧)井戸が「井戸川」と改称[1]
1943年11月1日
高松琴平電気鉄道発足に伴い、琴電長尾線の駅となります。
1951年2月28日
この日かぎりで井戸川駅廃止。
1952年9月30日
「公文明」という駅名で復活。

周辺の見どころ

確認中。

◆ミニコラム◆ この駅どの駅? 変転激しい長尾線の駅

このページでは、公文明駅の開業日を「1952年9月30日」としています。しかし文献によっては、高松電気軌道開業日である「1912年4月30日」としているものもあります。このほかにも、花園や白山なども、文献によって開業日がまちまちです。どうしてこういった現象が起きるのでしょうか。

高松電気軌道は、のちに琴電を構成した琴平電鉄などとは異なり軌道線としてスタートしており、高速電車を走らせるのではなく、小さい集落にもこまめに駅を設置して乗客を集めていました。しかし、あまりにも駅が多くなってスピードが上がらず、路線バスとの競争が激化する中で駅を整理したり、また戦時中には資源節約のために利用者の少ない駅が統廃合されたりし、現在の駅配置になっています。

しかし戦前戦中における駅の変化はめまぐるしく、戦時中における資料の散逸もあって、高松琴平電気鉄道の社史なども追い切れていないのが実情です。駅が廃止されたのか、あるいは休止だったのか。旧駅の移転なのか、旧駅廃止に伴う新設なのか。これらは推測するしかなく、したがって駅の開業日をいつにするかは、開業以来移転も休業もない駅をのぞけば、確証を求めるのが非常に困難です。

公文明の場合は、開業時に「(旧)井戸」と「長野西」という2つの駅ができたものの、その後両駅にかわって「井戸川」という駅がうまれ、戦後にこの駅が廃止され、ほどなく同じ位置に「公文明」という駅ができた、というものです。この場合、公文明駅の開業日を、前身といえる(旧)井戸駅の開業日にするか、井戸川駅の営業開始日にするか、現在の公文明がスタートした日にするか、迷います。ほかの駅も同様で、このあたりは新しい史料が出てこないかぎり、個々の判断によって分かれてしまうのでしょう。

  1. 大島一朗『ことでん長尾線のレトロ電車』JTBパブリッシング、2006年、94ページ。

このページの先頭へ