連絡駅は尾瀬方面への拠点に
会津高原尾瀬口
あいづこうげんおぜぐち
Aizukōgenozeguchi
七ケ岳登山口を出ると、それまで併走してきた日光街道(国道121号線)から国道352号線が分かれ、会津鉄道は後者に沿って進みます。ほどなく、2つの河川が合流したところに形成された集落の高台に入り、ここに会津高原尾瀬口駅があります。
会津鉄道としてはこの会津高原尾瀬口駅が終点で、ここより南側は野岩鉄道になります。会津鉄道の会津田島以南が電化され、浅草からの列車が会津田島まで直通運転を行っていることから、中間駅のような印象を与えますが、もともと国鉄時代はここが長らく終点で、野岩鉄道が新藤原と会津高原(会津高原尾瀬口駅の旧称)を結んだという経緯があります。駅の管理は会津鉄道が行っていますが、以前は野岩鉄道が管理していました。
ホームは島式1面2線から成り、列車交換が可能であるほか、この駅を始発および終着とする便があり、またこの駅で数分程度時間調整をする便もあります。ホームにしっかりした上屋が設置され、スロープと構内踏切で駅本屋と連絡しています。かつては終着駅だったことを示すように、広い構内の片隅にはターンテーブルが置かれていたりしますが、側線などはすでに撤去されており、空地が非常に目立ちます。
駅舎は木造平屋建てのもので、ローカル線の駅にはよく見られたタイプのものです。かなり傾斜のきつい差し掛け屋根になっており、背面(ホーム側、南側)からは明かり取りの小窓がのぞいています。この屋根は、当地が冬になると相当の積雪があることを示しているのでしょうか。
国鉄末期には旅客営業上は無人駅でしたが(運転要員のみ配置)、野岩鉄道開業にあわせてふたたび有人駅となり、現在では会津鉄道の職員が乗車券類を窓口で販売しています。
野岩鉄道会津鬼怒川線開業当初は、島式ホームの片面を国鉄会津線、もう片面を会津鬼怒川線が使用していました(ホーム管理は国鉄)。ところが、線路と同じ高さの築堤上にあった国鉄の駅は運転要員のみの配置で旅客営業上は無人駅で、野岩鉄道は国鉄とは別に地平に駅舎を構えていました。このため利用者にとっては非常にわかりにくく、混乱を招いていました[1]。
駅舎正面からは通路が延びており、通路の階段を下りると「会津高原駅プラザ 憩の家」があり、観光案内所と物産館が同居しています。これが、かつて野岩鉄道が別途設けていた駅舎で、現在でも乗車券類の販売をあわせて行っています。
駅前からは尾瀬方面へ向かうバスが多く発着しており、南会津一帯の観光拠点となっています。
停車列車 [2010年7月現在]
全列車が停車します。なお、ここでは相互直通運転を行う野岩鉄道内の停車駅もあわせて記述します。
歴史
1953年11月、国鉄によって西若松側から延長されて設けられました。国鉄会津線時代には「会津滝ノ原」という駅名でしたが、1986年10月9日に野岩鉄道が開通するとこれにあわせて「会津高原」と改称されました。翌1987年7月16日にJR会津線が会津鉄道に転換され、会津鉄道と野岩鉄道の境界駅となりました。
2006年3月18日には、野岩鉄道の駅とともに「会津高原尾瀬口」と改称しています。
略年表(クリックまたはタップで開閉)
- 1953年(昭和28年)11月8日
- 国鉄会津線の荒海(現、会津荒海)-会津滝ノ原が延長開業し、終着駅「会津滝ノ原(あいづたきのはら)」駅開業。
- 1986年(昭和61年)10月9日
- 野岩鉄道が開通、国鉄会津線と野岩鉄道会津鬼怒川線の接続駅となります。この際に「会津高原」と改称、駅の管理は野岩鉄道に移管。
- 1987年(昭和62年)7月16日
- JR会津線(第2次特定地方交通線指定:西若松-会津高原間)が会津鉄道に転換、同社の駅となります。これにあわせて「七ケ岳登山口」と改称。
- 2000年(平成12年)頃
- 駅の管理業務を野岩鉄道から会津鉄道に移管。
- 2006年(平成18年)3月18日
- 駅名を「会津高原尾瀬口」に変更。