戦前開業区間の南端
阿仁合は、戦前に開業した阿仁合線の終点であり、今では秋田内陸線の車両基地所在地、そして秋田内陸縦貫鉄道の本社所在地として、運転上および営業上の拠点となっている駅です。
阿仁合は、戦前に開業した阿仁合線の終点であり、今では秋田内陸線の車両基地所在地、そして秋田内陸縦貫鉄道の本社所在地として、運転上および営業上の拠点となっている駅です。
旅客用設備としては、島式ホーム1面2線が設けられており、東側にある駅本屋との間は構内踏切で連絡しています。
阿仁合駅の駅舎は、表側(外側)、裏側(構内側)の両方とも、ローマ字「A」を2つ並べたような装飾を付しています。Aは秋田内陸線の頭文字か、はたまた阿仁合の頭文字なのでしょうか。このため建物の構造がどうにもわかりにくいのですが、鉄筋コンクリート2階建ての建物です。この2階には秋田内陸縦貫鉄道の本社事務所が入っています。
なお、各所で「三角屋根」と説明されていますが、2つのAは明確に離れていますし、この飾り部分は「台形屋根」とでも表すのが適切と思われます。理屈先行っぽいと思われるかもしれませんが、白河駅など“本物”の三角屋根に失礼では。
駅構内は広く、また車両基地には多数のディーゼルカーが止まっていました。秋田内陸線のディーゼルカーは車両によってカラーリングがまちまちなので、なかなかカラフルな風景が広がります。豪雪地帯ということもあり、屋根付きの車庫は相当に頑丈そうな建物です。
ホームの中ほどに上屋があるのものの、駅舎から踏切を経てスロープ部分などには上屋がないため、雨や雪が降っているときにはあまり行き来がしやすくはありません。車両基地と反対側に側線がありますが、どのような用途に使われているのかは不明。
本社所在地ということもあって、出札窓口と券売機があり、駅員が常駐しています。待合室の座席数はさほど多くはなく、またスペースは比較的こぢんまりとしています。
待合室内には、観光案内所、売店、そして食堂「こぐま亭」があります。
観光案内所は、文字どおり阿仁地区の観光名所などについての案内を行っているほか、秋田内陸線に関するさまざまなグッズを販売しています。売店はJRのキヨスクと同様のものですが、こちらも見た目に似合わず取り扱っている商品のバリエーションは豊富で、眺めているだけでも飽きません。いや、本当に“眺めているだけ”というのはよろしくありませんが。
ローカル線の中間駅として異色の存在なのは、秋田内陸縦貫鉄道直営の食堂「こぐま亭」でしょう。営業時間が限られているのが難ですが、秋田県内陸地方ならではの食材を使った麺類や丼ものが提供されているので、営業時間内にこの駅を訪れているのならぜひのぞいて見ることをお勧めします。
内部は大衆食堂的な雰囲気で、学校帰りの学生で溢れることもあるとのことです。
阿仁合駅から至近距離に北秋田市役所阿仁庁舎があるほか、駅前には商店街が形成されています。しかし、商店の多くがシャッターを下ろしたままで営業をやめており、中には廃屋になったままの店舗跡地も見受けられました。
阿仁地区の山間部には巨大な銅山があり、江戸時代中期には日本最大の出産量を誇っていたといいます。長らく採掘が行われてきましたが、1970年に採掘を終了してからは完全に自然に帰っているようです。その後は森吉山にてスキー場開発が進められたものの、バブル崩壊ののちにこれも破綻しており、観光客の受け入れも厳しくなっているのが実情です。
秋田内陸線の中でも最も“観光客対応”が行き届いている駅だけに、駅の中では退屈しませんが、駅から外に出たとたんに、閉山後の鉱山都市特有の虚無感漂う雰囲気に参ってしまいました。
急行「もりよし」を含む全列車が停車します。
東側(駅本屋側)から順に、1番線、2番線となります。
確認中。
詳細は確認中。
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駅から南へ、徒歩3分。異人館は、阿仁銅山開発のため招聘されたドイツ人技師によりつくられた宿舎で、国指定重要文化財。ゴシック様式のレンガ造を基盤としつつ、コロニアル様式の回廊を設けており、文明開化草創期の洋風建築物として貴重。伝承館は、銅山の歴史を展示品とともに解説。いずれも交通の便のよい位置にはありますが、そもそも駅周辺に案内が皆無で、私も到着後にスマートフォンで検索して初めて知ったしだいで、何とももったいないところ。400円、月休。
【Link】阿仁異人館・伝承館公式Webサイト
【Map】OpenStreetMap / Google Map / Mapion