県境の駅は会社の境に

目時

めとき Metoki
目時駅
▲目時駅駅舎《2012年11月16日撮影》

境界駅はひっそりとしています

目時駅から青森方を望む
【写真1】目時駅から青森方を望む。《2012年11月16日撮影》

IGRいわて銀河鉄道との境界駅です。駅の管理は青い森鉄道が行っています。国道4号線から離れていることもあり、駅周辺はひっそりとしています。

直線状の細いホームが築堤上に

目時駅から盛岡方を望む
【写真2】目時駅から盛岡方を望む。《2012年11月16日撮影》

築堤上に相対式ホーム2面2線が設けられており、それぞれのホームから階段で地平に降りたところに駅本屋があります。【写真2】の奥にはトンネルがありますが、その手前に架かっている橋梁が、青森と岩手の県境になります。

鉄道電話が2つ並ぶ

目時駅
【写真3】目時駅設置の鉄道電話。左側がIGRいわて銀河鉄道、右側が青い森鉄道のものです。《2012年11月16日撮影》

ホームには鉄道電話が設置されていますが、青い森鉄道用とIGRいわて銀河鉄道用とは別々のものになっていました。

両ホームの間は地下道で連絡

目時駅地下道
【写真4】目時駅地下道。《2012年11月16日撮影》

駅本屋は西側に設けられており、上りホームとの間は地下道で結ばれています。なお、東側にも出ることができます。特に会社の境界駅であると意識させるものはほとんどありません。

駅窓口は封鎖されています

目時駅待合室内

待合室は比較的ゆったりしたスペースがあり、プラスチック製の椅子が置かれていますが、利用者が少ないこともあって無人化されています。自動券売機が設置されており、青い森鉄道、IGRいわて銀河鉄道の両方向に対応していました。ストーブが設置されていますが、無人駅での火の取り扱いはどのようになっているのでしょうか。

ずいぶん立派な駅舎

目時駅駅前
【写真6】目時駅駅前。《2012年11月16日撮影》

駅舎は鉄骨平屋建、1960年代後半ごろにつくられたものと思われます。国鉄に機能主義が浸透していた時代の産物ともいうべき横長駅舎ですが、それにしてもずいぶん立派な施設を作ったものです。無人化されている今となっては無用の長物ではありますが。

正面には一本道が延びます

目時駅西口正面
【写真7】目時駅西口正面。《2012年11月16日撮影》

目時駅の周辺にはぽつぽつと民家が建ってはいますが、前述の通り国道から大きく離れていることもあって、大きな集落にはなっていません。それでも、駅前の通りはほぼまっすぐ国道へと通じる一本道で、かつてはこの目時駅もそれなりの存在感があったことを示しています。

東口は畑と民家があるのみ

目時駅東口
【写真8】目時駅東口。《2012年11月16日撮影》

一方の東口は、上り(IGR方面)ホームから下りたところすぐに設けられていますが、こちらは駅を出てすぐ畑と民家があるのみで、ダートが1本通じてはいるものの、駅前らしい雰囲気はありません。おそらく、開業当初はこちらには出口がなく、しばらくしてから地下道の先に穴を開ける形で出口にしたものと思われます。

乗り場

駅本屋側(西側)から順に、1番線、2番線となります。

  • 1.青い森鉄道線下り 八戸、青森方面
  • 2.IGRいわて銀河鉄道線上り 二戸、盛岡方面

駅名の由来

確認中。

歴史

当初は信号場として設置されました。

1924年12月20日
金田一(現、金田一温泉)-三ノ戸(現、三戸)間に目時信号場設置。
1948年10月1日
目時信号場が駅に昇格、目時駅開業。
1962年4月1日
この日かぎりで貨物営業廃止。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本の駅となります。
2002年12月1日
東北新幹線・盛岡-八戸間が開業したことに伴い、東北本線の盛岡-目時間がアイジーアールいわて銀河鉄道に、目時-八戸間が青い森鉄道に移管され、両者の境界駅となります。
2017年2月28日
自動券売機の使用を終了[1]

周辺の見どころ

確認中。

  1. 青い森鉄道・お知らせ「自動券売機の営業終了について」 (2017年2月13日)。

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