堂々たる橋上駅舎がそびえる

三沢

みさわ Misawa
三沢駅
▲三沢駅駅舎(正面口)《2011年11月20日撮影》

三沢市の玄関駅として大きな敷地を持つ

三沢駅ホーム
【写真1】三沢駅ホーム(奥は目時方)。《2011年11月20日撮影》

旧海軍の飛行場が設置されて以来の空軍拠点基地として発展してきた、三沢市の玄関駅です。もっとも、東北本線の主要駅にはよくあることですが、市の中心部からは駅が約2kmほど離れており、自動車やバスなどによるアクセスが必要な位置にあります。

橋上化後も旧駅舎が残る

三沢駅旧駅舎
【写真2】三沢駅旧駅舎。《2011年11月20日撮影》

2面3線から成り、地平ホームの上に橋上駅舎が設けられ、東西自由通路と一体化しています。橋上駅舎化された時期は未確認ですが、それ以前に使われていた旧駅舎の建物が、解体されることなくそのままの姿を残しています。

東西自由通路と一体化した橋上駅舎

三沢駅ホーム(奥は青森方)
【写真3】三沢駅ホーム(奥は青森方)。《2011年11月20日撮影》

国鉄→JR時代には特急列車が停車していましたが、青い森鉄道に移管されて以降は快速および普通のみの停車となり、広域交通拠点としての価値が大きく低下した観は否めません。

改札口の脇に待合室ときっぷ売り場

三沢駅コンコース
【写真4】三沢駅コンコース。《2011年11月20日撮影》

コンコースの中央に改札口があり、改札を出てから左手に待合室と売店、左手にきっぷ売り場があります。なお、JR券の販売は西側地平で行われていますが、これは橋上化される前に駅舎として利用されていたと思われる建物を利用しています。

東西自由通路は割と広め

三沢駅東西自由通路
【写真5】三沢駅東西自由通路。《2011年11月20日撮影》

橋上駅舎は東西自由通路につながっており、それぞれの出口にエレベータが設けられています。通路が比較的広く取られているのは、やはり都市の玄関口という位置づけのためでしょうか。

「正面口」と「東口」

三沢駅東口
【写真6】三沢駅東口。なお、これの反対側は「正面口」で、なぜか「西口」ではありません。《2011年11月20日撮影》

市街地は駅の北東側に広がっていますが、西側の出口は「正面口」となっており、東側出口の「東口」とバランスを欠いた名称になっています。これは、かつて駅本屋が西側にあったことから付けられたものでしょう。いずれも駅名表記は緑色になっており、JR東日本時代の名残をそのまま残しています。

駅の南西側には、2012年に廃線となった十和田観光電鉄の駅舎がそのまま残されていますが、大柄で新しくきれいな青い森鉄道の駅舎と、いろいろな面で時代を感じさせる十和田観光電鉄の駅舎は、対照的です。また駅の南側には古牧温泉があり、大規模なホテルが並んでいます。

なお、かつて駅北東側にある在日米軍三沢基地への専用線がありましたが、現在では利用されていません。

停車列車 [2016年6月現在]

快速が停車します。

  • 快速 下田※1三沢上北町※2
  • ※1 上りの一部は下田を通過し、八戸に停車。
  • ※2 下り2便と上り1便は上北町を通過し、野辺地に停車。
  • 普通 向山三沢小河原

乗り場

西側から順に、1番線、2番線、3番線となります。

  • 1.青い森鉄道線下り 野辺地、青森方面
  • 2.青い森鉄道線上り 八戸、目時方面
  • 3.青い森鉄道線上り 八戸、目時方面

駅名の由来

確認中。

歴史

詳細は確認中。

1891年9月1日
日本鉄道によって盛岡-青森間が開業、この際には駅未設置。
1894年4月1日
「古間木(ふるまき)」駅開業。
1906年11月1日
日本鉄道が国有化され、官設鉄道(逓信省鉄道局)の駅となります。
1961年3月20日
駅名を「三沢」に変更。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本およびJR貨物の駅となります。
2008年ごろ?
JR貨物の三沢駅廃止。
2010年12月4日
東北新幹線新青森開業に伴い、JR東日本の八戸-青森間が青い森鉄道に移管され、同社の駅となります。

周辺の見どころ

確認中。

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