東北の白象と呼ばれた白亜の駅舎が残る
陸奥市川
むついちかわ Mutsuichikawa
広い構内を残す
八戸市北部に位置する陸奥市川駅は、今でこそひっそりとした無人駅ですが、その割になかなか立派な設備を備えている駅でもあります。この駅には不思議な魅力があり、端的に説明するのはなかなか難しいので、写真とともにごらんいただければ幸いです。
青い森鉄道のうち駅舎がある程度の規模の駅、すなわち駅の開設当初から無人駅だった駅を除いた駅では、跨線橋が設けられており、ここから駅の全体を見ることができます。ここ陸奥市川も同様ですが、ぱっと見たところ、いささかの違和感を抱く人が多いと思います。それは、配線が単純であるにもかかわらず、駅の横幅が非常に広い点です。駅本屋前のホームが非常に広く、島式ホームも非常に広い。特急停車駅でもここまでのスペースを取っているだろうか、と思わせるぐらいの規模なのです。
中線は撤去されています
下りホームはもともと島式でしたが、例によって中線は撤去されており、外側線のみを使う片面ホームになっています。跨線橋のステップは、青い森鉄道のコーポレートカラーである水色に塗られています。
ガラスを多用した待合室
ホームの中ほどに、木造のしっかりした待合室が設けられています。一見、どうということもない木造待合室ですが、妻面にガラス窓が配置され、採光がよくなっている点が目を引きます。下見板貼りというクラシックな外壁に似合わず、ガラスを多用したモダンなデザイン。これが意外と合っているから面白いものです。全国的にもあまり例のないタイプの建物でしょう。
特に上りホームの幅が広い
さらに、上りホームの広さは尋常ではありません。広さというより、列車の乗り場から駅舎までの間が非常に遠い、というべきでしょうか。これは写真をご覧いただくしかないのですが、ホームの上で車座になってもあまり迷惑にならないだろう程度の広さがあるのです。その気になれば、島式ホーム2面4線にすることも十分できそうです。
駅舎はホームへせり出すように
それでは肝心の駅舎はというと、ホーム側から見ただけでぎょっとします。なにせ、まるで車寄せのように軒がホーム側にせり出しているのです。国鉄標準型の駅としては、例えば隣接する下田駅のように、駅舎全体を囲む軒がホーム側にも回っているケースはありますが、わざわざホーム側に設けている例は珍しいといえます。もちろん、ホーム幅全体をカバーするように上屋を設けるケースは珍しくも何ともありませんが、この駅では改札口を抜けてすぐの部分のみにあるわけで、やはり特異な存在です。
木造ではありますが、断面が台形となっている直線的な駅舎そのものも印象的です。ローカル駅の多くが横長になっているものですが、この陸奥市川駅はむしろ上へ上へと延びていきそうな、そんな印象を与えます。
駅舎内は居心地のよい空間に
駅は無人化され、自動券売機が設置されているのみですが、地元のボランティアによるものか、清掃が行き届いているほか、観葉植物などの手入れも行われており、非常に居心地のよい空間になっています。地元の住民や子供たちが気軽に立ち寄れる空間となっているようです。
正面に回るとストンと垂直な平面が
今となっては静かなローカル駅である陸奥市川に、このような立派な設備が設けられたのは、戦時中には軍部の要請、戦後はGHQの要請があったためです。現在は陸上自衛隊駐屯地や海上自衛隊飛行場として使われているスペースへの輸送拠点として位置づけられたため、重要な拠点駅となったものとされています。なお、GHQでは大柄な白い駅舎を見て「東北の白象」と称したそうですが、言い得て妙といえましょう。
駅前には民家が密集
駅前には小商店のほか、民家が密集しています。通勤通学利用がけっこうみられるようです。
停車列車 [2013年12月現在]
快速は基本的に通過します(上りの一部のみ停車)。
東側(駅本屋側)から順に、1番線、3番線となります。2番線の設備は撤去されています。
歴史
当初は信号場として設置されました。
- 1926年11月5日
- 尻内(現、八戸)一下田間に、轟(とどろき)信号場設置。
- 1944年10月11日
- 轟信号場が駅に昇格、陸奥市川駅開業。
- 1971年9月30日
- この日かぎりで貨物営業廃止。
- 1987年4月1日
- 国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本の駅となります。
- 2010年12月4日
- 東北新幹線新青森開業に伴い、JR東日本の八戸-青森間が青い森鉄道に移管され、同社の駅となります。