啄木の故郷は戦後生まれ

渋民

しぶたみ Shibutami
渋民駅
▲渋民駅駅舎《2011年11月19日撮影》

信号場らしい雰囲気は特になく

下りホームより駅舎を望む
【写真1】下りホームより駅舎を望む。《2011年11月19日撮影》

渋民という地名からは、石川啄木の名を連想する人も多いでしょう。啄木は東北地方を通る汽車や停車場を詠んだ歌を残していますが、渋民駅はひとつも出てきません。それもそのはず、明治時代には渋民駅は存在せず、戦後になってやっと設置された駅だからです。

もともとは戦時中に設けられた信号場が格上げされたものですが、今となっては単純な相対式2面2線という、何の変哲もない配線になっています。駅本屋は上りホーム側にあり、下りホームとの間は跨線橋で連絡しています。

下りホームからは直接外へ

下りホーム側にある出口
【写真2】下りホーム側にある出口。改札も何もありません。《2011年11月19日撮影》

下りホーム側にも独自の出口があり、外に出ることができます。こちらには改札を行う施設などはなく、直接通路が外の道路につながっています。

北口には通勤通学利用が

北側の出入口から駅方面を望む
【写真3】北側の出入口から駅方面を望む。《2011年11月19日撮影》

この北側の出入口からは、住宅地へと直接行くことができるため、通勤通学客の利用が多いようです。

上りホームには小さな木造駅舎が

渋民駅駅舎内
【写真4】渋民駅駅舎内。《2011年11月19日撮影》

上りホームには、木造平屋建ての駅舎があります。おそらく信号場が設置された当時のものがそのまま使われているものと思われ、現在では委託駅員が乗車券類を販売しています。窓口の掲示によると集札を行っているようですが、下りホームにはそのまま出口があることから、有名無実化しているのではとも思われます。

小さな待合室にはストーブが

渋民駅待合室
【写真5】渋民駅待合室。《2011年11月19日撮影》

待合室スペースは比較的こぶりなもので、真ん中に設置されたストーブを取り囲むように椅子が置かれています。私が訪れたときには、利用者の物か定かではありませんが、ストーブに鍋がかけられていました。

駅前は比較的静か

渋民駅駅前
【写真6】渋民駅駅前。《2011年11月19日撮影》

駅前にはタクシーが常駐しているほか、小公園があり、啄木由来の地をまわる観光客の利用もあるようです。ただし観光客を意識した店舗などは特に見られず、国道から少し奥に入っていることもあって、比較的静かな雰囲気です。

乗り場

東側(駅本屋側)から順に、1番線、2番線となります。

  • 1.いわて銀河鉄道線上り 盛岡方面
  • 2.いわて銀河鉄道線下り 好摩、目時方面

駅名の由来

確認中。

歴史

戦時中に設置された渋民信号場が全身です。信号場時代から旅客の乗降を取り扱っていたようですが、正式に一般停車場になったのは1950年になってからのことでした。

1943年10月1日
渋民信号場設置。
1950年12月1日
停車場として営業開業。
1970年9月30日
この日かぎりで貨物営業廃止。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本の駅となります。
2002年12月1日
東北新幹線・盛岡-八戸間が開業したことに伴い、盛岡-目時間がアイジーアールいわて銀河鉄道に移管され、同社の駅となります。

周辺の見どころ

確認中。

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