かつては田名部駅を名乗っていました

赤川

あかがわ Akagawa
赤川駅
▲赤川駅《2016年6月25日撮影》

田名部市街地とは遠く離れて

赤川駅ホーム(奥は大湊方)
【写真1】赤川駅ホーム(奥は大湊方)。《2016年6月25日撮影》

下北半島で最大の町といえば、かつて南部藩の代官が設置されていた田名部になり、現在ではむつ市の中心となっていますが、この田名部を最初に名乗った駅が、現在の赤川駅です。確かに、大湊線は軍港である大湊を東北本線と直結させることを目的としており、田名部を通らなかったことによるものですが、中心市街地へは4キロ近く離れています。

対向ホーム跡が残る

かつての対向ホーム跡
【写真2】かつての対向ホーム跡。《2016年6月25日撮影》

現在では例によって棒線駅になっているものの、もともとは交換可能だったようで、駅前後にレールの屈曲が見られるほか、現行ホームの向かい側にはうち捨てられた対向ホームが草に埋もれて残っていました。

簡素な待合室のみ

赤川駅待合室
【写真3】赤川駅待合室。《2016年6月25日撮影》

ホーム自体は比較的広めで、かつてはしっかりした駅舎があったと推測されますが、今ではごく簡素な待合室がポツンと置かれているのみです。私はこの駅を6月末に訪れたのですが、中に入るとたいへん蒸し暑く、夏季にはとても使えるものではありません。

民家は建っていますが

赤川駅駅前
【写真4】赤川駅駅前。《2016年6月25日撮影》

駅前のスペースは非常に広く、かつては国道に向かってどんと存在感を示していたのでしょうが、今となってはだだっ広い遊休地が広がるのみで、存在感はすっかり希薄になってしまいました。

周辺はむつ市の郊外といった趣で、住宅がぽつぽつ建っており商店や小学校もありますが、田名部の中心部へは下北交通の市内バスが便利ということもあって、大湊線内でも乗降客が特に少ない駅になっているのが実情のようです。

停車列車 [2018年3月現在]

快速は停車しません。

駅名の由来

確認中。

歴史

詳細は確認中。

1921年9月25日
国有鉄道(鉄道省)大湊線・陸奥横浜-大湊間が開業した際、(旧)田名部駅開業。
1948年12月1日
駅名を「赤川」に変更。なお同日、国鉄大畑線(現在は廃止)の「夲田名部」駅が「田名部」と改称しています。
1974年2月28日
この日かぎりで貨物営業廃止。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本の駅となります。
2011年3月11日
東日本大震災が発生、大湊線が全線運休。
2011年3月17日
大湊線が復旧、運転再開。
2011年4月7日
この日発生の余震により、再び大湊線が運休。
2011年4月11日
大湊線が復旧、運転再開。

周辺の見どころ

確認中。

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