日本交流電化発祥の地

作並

さくなみ Sakunami
作並駅
▲作並駅《2008年7月13日撮影》

温泉への移動拠点

作並駅ホーム
【写真1】作並駅ホームには待合室があります。《2008年7月13日撮影》

作並温泉への玄関口という位置づけの駅です。駅周辺には民家があまりなく、利用者の多くが温泉へ移動するための拠点という位置づけになっているため、観光客を第一に考えているという印象の駅です。

ホーム上では旅館関係者の見送りも

作並駅より仙台方を望む
【写真2】作並駅より仙台方を望む。上り列車を旅館関係者が見送っています。《2008年7月13日撮影》

地平に2面3線が設けられ、駅本屋側のホームと島式ホームの間は構内踏切で連絡しています。集改札は行われていないため、ホームで作並温泉の旅館から帰る客を旅館の女将や従業員が見送っている光景が見られます。

ホームには大きなこけしが

作並駅ホーム上のこけし
【写真3】作並駅ホーム上のこけし。《2008年7月13日撮影》

ホーム上には、大きなこけしが置かれており、この駅から作並温泉へ向かう観光客が記念写真を撮っていました。

交流電化発祥地の石碑が

交流電化発祥地の石碑
【写真4】交流電化発祥地の石碑。《2008年7月13日撮影》

鉄道関係者にとって作並といえば、交流電化発祥の地として有名です。ホームには石碑と案内板が立っていますが、観光客が目をとめている様子は見られませんでした。

もともと、1937年11月に仙山線で最後に開通した作並-山寺間は、直流電化で開業していました。両端が非電化ながらこの区間のみが電化されたのは、勾配と長大トンネルのために蒸気機関車での牽引が困難という理由によるものです。しかし、その後交流電化の検討が始まり、1957年9月5日には、日本で最初の交流電化が仙台-作並間で行われ、同日より営業運転が行われたものです。これによって交流電気機関車が置かれ、作並は交流電化の代名詞となりました。

木の質感たっぷりの新しい駅舎

作並駅駅舎をホーム側から見る
【写真5】作並駅駅舎をホーム側から見る。《2008年7月13日撮影》

2008年3月に改築された新駅舎は、木材を多用し天井を高くして軽快感を出したものです。山小屋と四阿の中間のような印象を与えるもので、あまり温泉の玄関駅らしい感じではありません。

駅舎内には案内所が

作並駅駅舎内部
【写真6】作並駅駅舎内部。観光案内所で乗車券を委託販売しています。《2008年7月13日撮影》

無人駅ではありますが、その駅舎内には観光案内所が設けられ、ここで乗車券が販売されています。

駅の通路は落ち着いた雰囲気

作並駅ホームから玄関へのアプローチ
【写真7】作並駅ホームから玄関へのアプローチ。《2008年7月13日撮影》

ホームから階段を下りて正面はゆったりしたスロープになっており、旅館の廊下を歩いているような気になります。オレンジ色の乗車駅証明書発行機が、何とも野暮ったいのが残念ではあります。

駅前は閑散としています

作並駅駅前の案内表示
【写真8】作並駅駅前の案内表示。《2008年7月13日撮影》

駅周辺にはこけしの直売店と茶店があるのみで、事実上作並温泉へ向かう送迎バスの拠点として機能しているのが実情です。作並温泉へは、ここからバスで10分ほどのところです。駅前に入る道路の標示にも「日本初の交流電化区間」と書かれていました。

停車列車 [2017年7月現在]

すべての列車が停車します。

乗り場

確認中。

駅名の由来

確認中。

歴史

路線開通当初からの古い駅です。

1931年8月30日
仙山東線愛子-作並開通に際して開業。
1937年11月10日
愛子-山寺が開通し仙山線全通、中間駅となります。
1980年7月31日
この日かぎりで貨物営業廃止。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本の駅となります。
2011年3月11日
東日本大震災が発生、仙山線が全線で運休。
2011年4月23日
仙山線・愛子-山寺間が復旧、仙山線が全線で運転再開。

周辺の見どころ

作並温泉

駅から北西へ、路線バス(仙台市)7分。広瀬川上流の渓谷に湧出した単純温泉で、大規模旅館も立地している大きな温泉街を形成しています。

その他

  • 「東北の駅百選」(国土交通省東北運輸局)選定駅。

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