歴史的には米坂線が後輩
米坂線と山形鉄道との分岐駅です。歴史的には山形鉄道の前身である長井線が先に開業し、その後米坂線が開通して接続駅になりました。このため、駅本屋側のホームが山形鉄道、離れたホームが米坂線となっています。駅本屋は北東側にあり、両ホームとは跨線橋で連絡しています。
米坂線と山形鉄道との分岐駅です。歴史的には山形鉄道の前身である長井線が先に開業し、その後米坂線が開通して接続駅になりました。このため、駅本屋側のホームが山形鉄道、離れたホームが米坂線となっています。駅本屋は北東側にあり、両ホームとは跨線橋で連絡しています。
駅が大きい割に駅舎は質素で、ごく小さい待合室と小ぶりな屋根が印象的です。駅は運転上の拠点という位置づけが強く、駅そのものの周辺には民家が少ないため、列車の発着時間帯を除けば閑散としているようです。
宮脇俊三氏の名著『時刻表昭和史』にて、1945年8月15日の玉音放送がこの駅にて流れたシーンは印象的です。
米坂線内の列車は、全便とも各駅に停車します。
駅本屋側(北東側)から順に、3番線、4番線となります。
確認中。
現在の山形鉄道が先に開業し、これに米坂線が乗り入れました。このため、以下では山形鉄道分離以前は、米坂線に関連する事項のみを記載します。
確認中。
確認中。