かつての自動車積み込み基地も今では閑古鳥

北野桝塚

きたのますづか
Kitanomasuzuka
北野桝塚駅
▲北野桝塚駅外観《2008年1月26日撮影》
北野桝塚駅ホーム
【写真1】北野桝塚駅ホーム。《2008年1月27日撮影》

矢作川を渡ると、それまでの市街地から一変して、人家がめっきり少なくなり、工場と農地が混在した、いささか殺風景な光景が広がるようになります。北野桝塚は、そんなエリアの中に設けられた高架駅です。愛知環状鉄道の本社所在駅でもあります。

島式ホーム2面4線から成ります。国鉄岡多線として最初に開業した駅のせいか、長いホームには植え込みが設けられているなど、そこかしこに国鉄らしいカラーが残っています。

国鉄時代は北側の1面2線のみが新豊田方面へ直通しており、南側の1面2線は車両基地へのみつながり新豊田方面へは連絡していませんでしたが、愛知環状鉄道移管後に現在の形態となりました。愛知環状鉄道各駅で2面4線を備えている駅はほかにはなく、唯一緩急接続が可能になっています。もっとも、現在の愛知環状線では全便が各駅停車なので、実際には隣接する車両基地への入庫および出庫車両の接続に利用されることが多くなっているようです。

北野桝塚駅を北側から望む
【写真2】北野桝塚駅を北側から望む。《2008年1月27日撮影》

利用者数や周辺人口からみると過分に思える設備ですが、これはもともと、この駅が自動車の搬出用基地駅として設計されたからです。国鉄岡多線が岡崎-北野桝塚で貨物営業のみ先行開業したのも、この駅があってのことでした。

駅の高蔵寺方南側の用地は自動車の積み込み用スペースの跡で、開業当初は1日に10往復の貨物列車が設定され、ここから各地へトヨタ自動車の新車を満載した貨物列車が発着しており、最盛期には1日500万円強の収入があったといいます[1]。しかし、道路整備に伴う陸送の一般化と、国鉄貨物輸送のコスト高も相まって、国鉄末期の1984年12月に貨物輸送は終了しました。

かつての貨物ヤード跡地は車両基地として利用されていますが、自動車を鉄道が運ぶという“呉越同舟”列車のモデルケースになることができずに急速に存在感を低下させたこの駅には、やはりわびしさがつきまといます。

北野桝塚駅出入口
【写真3】北野桝塚駅出入口。《2008年1月27日撮影》

出口は高架下に設けられており、北側と西側にそれぞれ出口があります。駅開業以来利用者数が少ないこともあって長らく無人駅でしたが、2008年に高架下に忘れ物の取扱所が設置され、これに伴って昼間時間帯には駅員が配置されるようになりました。

乗り場

東側から順に、1番線、2番線、…となります。

駅名の由来

北野は駅を含む南側(岡崎市内)、桝塚は駅の北側(豊田市内)の地名で、これを合成した駅名です。両地名の由来については確認中。

歴史

国鉄岡多線最初の駅です。

周辺の見どころ

確認中。


  1. 徳田耕一「愛知環状鉄道の開業」『鉄道ピクトリアル』電気車研究会、No.494(1988年4月号)、64ページ。

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