伊賀鉄道

利用者の減少が著しかった近鉄伊賀線の経営を分離するために設立された鉄道会社で、株式の大半は現在も近鉄が保有しています(本社:三重県伊賀市)。伊賀線については、近鉄が第三種鉄道事業者として施設や車両を保有、伊賀鉄道が第二種鉄道事業者として運行を行っています。

(2008年3月25日)

【URL】 http://www.igatetsu.co.jp/

★2008年2月9日、伊賀神戸にて完乗、西大手にて全駅乗降(その後開業した四十九のみ未乗降)。

JR関西本線の伊賀上野から、旧上野市の中心地を通り、近鉄大阪線の伊賀神戸にいたる、16.6kmの路線です。全線が1,067mmで、旧近鉄時代は標準軌の近鉄大阪線からは離れ小島のような存在でした。狭軌のまま残されたのは、比較的遅くまで貨物輸送が行われていたためです。全線が、平成の大合併によって成立した伊賀市内に収まっています。

旧上野市とJRおよび近鉄を連絡する路線という性格から、運転系統は上野市で分かれており、伊賀上野-上野市の列車が伊賀上野で関西本線の列車に、上野市-伊賀神戸の列車が伊賀神戸で近鉄大阪線の列車に接続を取るダイヤになっています。ワンマン運転が基本ですが整理券の発行はなく、運転席後ろ右側にある運賃箱に運賃を投入します。

中間改札のない伊賀上野駅はただの乗換駅ですが、服部川をわたると旧上野市の中心部に入り、西大手から桑町にかけては住宅や商店が密集する中を進みます。この区間は駅間距離が短く、電車はこまめに停車します。名阪国道から南に進むと田園地帯となり、木津川に沿って人口の少ない地域を進み、伊賀神戸にいたります。中間の有人駅は上野市と茅町で、上野市駅に車両基地があります。

1916年8月8日に伊賀軌道が上野駅連絡所(のちに伊賀上野駅に統合)-上野町(現・上野市)を開通させたのが始まりで、1917年12月20日に伊賀軌道は(旧)伊賀鉄道と社名を変更、1922年7月18日に上野町-名張(のちの西名張、現在は廃止)の全区間を開通させました。1929年3月31日には大阪電気軌道に合併され、1930年10月10日には参宮急行電鉄が榛原-伊賀神戸が開通して同線に接続しました。これに伴い1931年9月26日には伊賀線が参宮急行電鉄に移管されますが、1941年3月15日には参宮急行電鉄が大阪電気軌道と合併して関西急行電鉄が発足、再び旧大軌と統合しています。その後、1964年10月1日に大阪線との重複区間である伊賀神戸-西名張が廃止され、現在の線形が固まりました。2007年10月1日に(新)伊賀鉄道に経営移管されています。

(2008年3月25日)

駅一覧

乗車履歴

  • 伊賀上野-上野市 2008年2月8日
  • 上野市-伊賀神戸 2008年2月9日

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